関東大震災当時の朝鮮人虐殺についての科学的考証

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関東大震災当時の朝鮮人虐殺についての科学的考証

2017-08-27

1923年(大正12年)に発生した関東大震災で犠牲となった、「朝鮮人」に対する追悼式に、小池百合子都知事が追悼文を送らない方針を決めました。

関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式とは?

「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式」とは、毎年墨田区横網町公園内の「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」前で行われる、一般社団法人 ほうせんかなどの追悼行事実行委員会が主催する追悼式です。

関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑

みなさん、誤解しているかもしれませんが、上記の「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式」は、横網町公園内の東京都慰霊堂で毎年営まれ、都知事も参加する遭難者慰霊大法要」とは別の追悼式です。

東京都慰霊堂

関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式に都知事が追悼文を送らない方針を示す

今回、この「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式」に、都知事が追悼文を送らない方針を決めたということで、「虐殺の事実から目を背けるもの」などの批判が寄せられているようです。

ちなみに、「遭難者慰霊大法要」には、都知事は出席します。

小池知事、関東大震災の朝鮮人犠牲者めぐり持論⇒「虐殺の事実から目を背けるもの」と批判の声
8月25日、小池知事が記者会見で語った内容とは。
2017年08月26日 18時25分 JST 吉川慧ハフポスト日本版ニュースエディター

市民団体などが9月1日に都立横網町公園(東京都墨田区)で開催する「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式」に、都知事名の追悼文を送らない方針を決めた東京都の小池百合子知事。
これまで歴代都知事が踏襲してきた追悼文の送付を取りやめる決定をしたことで、8月25日の定例記者会見では、その理由を尋ねる質問が報道陣から相次いだ。

■小池知事「民族差別の観点というより、災害の被害で亡くなられた方々の慰霊を

会見で小池知事は、関東大震災(1923年)が発生した9月1日と東京大空襲(1945年)があった3月10日に横網町公園内の東京都慰霊堂で毎年営まれる「遭難者慰霊大法要」に都知事が出席することを挙げ、こう説明した。

「これまでも都知事として関東大震災で犠牲となられた全ての方々への追悼の意を表し、全ての方々への慰霊を行なってきた」

「今回は全ての方々への法要を行いたいという意味から、特別な形での追悼文提出を控えた

関東大震災発生当時は「朝鮮人が暴動を起こした」「朝鮮人が井戸に毒を入れた」といったデマが広がり、多数の朝鮮人や中国人などが虐殺された

追悼式では、こうした流言飛語がもとになり、犠牲となった人たちも合わせて追悼している。
政府の中央防災会議が2009年にまとめた関東大震災に関する報告書では、死者・行方不明者10万5千人超のうち1~数%が殺害によるものと推計している。

(略)

小池知事も2016年は
「多くの在日朝鮮人の方々が、言われのない被害を受け、犠牲になられたという事件は、わが国の歴史の中でもまれに見る、誠に痛ましい出来事」
などとする文を主催者に送っている。
一方で2017年は、主催者側が追悼文送付を都に要請したところ、担当する都建設局が送付しない方針を伝えたという。

歴代知事が踏襲してきた追悼文取りやめの背景には、3月の都議会一般質問における自民党議員の質問があった。
自民党の古賀俊昭都議は3月の一般質問で、「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式」に追悼文を寄せることについて、小池知事に見解を質した。
古賀都議は、横網町公園にある「朝鮮人犠牲者追悼碑」に「誤った策動と流言飛語のため六千余名に上る朝鮮人がとうとい生命を奪われました」と記されていることや、追悼式の主催団体の案内文に虐殺の犠牲者数が「6000余名」と書かれていることを取り上げ、「根拠が希薄な数」などと問題視した。
古賀都議は、
流言飛語に関しても、当時の我が国の治安状況を知るべき
とした上で、
世相と治安状況の中で、日本人自警団が過敏になり、無関係の朝鮮人まで巻き添えになって殺害された旨の文言こそ、公平、中立な立場を保つべき東京都の姿勢
「東京都を代表する知事が歴史をゆがめる行為に加担することになりかねず、今後は追悼の辞の発信を再考すべき」
と、小池知事に迫った。
古賀都議の質問に対し、小池知事は「毎年慣例的に送付してきた。今後については私自身がよく目を通した上で適切に判断する」と答弁。
見直しを示唆していた。

朝日新聞デジタルによると、都建設局はこの答弁などを受けて追悼文の送付中止を検討し、その方針を小池氏も了承したという。
(略)

追悼碑に書かれている虐殺された朝鮮人の数は六千余名

昭和48年(1973)に、「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会」によって建てられた横網町公園内の「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」の脇にある説明版には、

一九二三年九月発生した関東大震災の混乱のなかで、あやまった策動と流言蜚語のため六千余名にのぼる朝鮮人が尊い生命を奪われました
私たちは、震災五十周年をむかえ、朝鮮人犠牲者を心から追悼します。
この事件の真実を識ることは不幸な歴史をくりかえさず、民族差別を無くし、人権を尊重し、善隣友好と平和の大道を拓く礎となると信じます。
思想、信条の創意を越えて、この碑の建設に寄せられた日本人の誠意と献身が、日本と朝鮮両民族の永遠の親善の力となることを期待します。
一九七三年九月
関東大震災朝鮮人犠牲者
追悼行事実行委員会

と書かれています。

関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑の説明版

ここには、「あやまった策動と流言蜚語のため六千余名にのぼる朝鮮人が尊い生命を奪われました」と書かれています。
つまり、「朝鮮人が暴動を起こした」「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などといったあやまった策動と流言蜚語(いわゆるデマ)によって、震災とは関係なく日本人に虐殺された朝鮮人が6000名を超える
という意味ですね。

はたして、日本人は6000人もの朝鮮人を虐殺したのでしょうか?

虐殺された朝鮮人の人数の検証

日本とイギリスの公式文書では殺害された朝鮮人は少数

内務省警保局調査(「大正12年9月1日以後ニ於ケル警戒措置一斑」)には、

関東大震災による日本人死者、行方不明者は105,385人、被災者190万人。警察や自警団に殺された朝鮮人231人・重軽傷43名、中国人3人、朝鮮人と誤解され殺害された日本人59名、重軽傷43名であった。

と書かれているようです。
司法省の調査では、殺された朝鮮人死者は233人となっているようです。

 

また、ロンドン・ナショナル・アーカイブス所蔵のFail No,F280には、

1923年12月24日 在東京英国大使館より本省への報告(日本政府)当局はすぐに法律と秩序を保つために行動に出ました。
戒厳令が布かれ、軍部の適切な行動により深刻な暴動や掠奪はありませんでした。
しかしながら市内では、建物に放火をしたということで、僅かな(a few)の朝鮮人が人々に殺されたように見受けられます。
朝鮮人労働者です。
朝鮮人の中には一定の不平分子たちがいて、彼らが放火の罪を犯した可能性があります。
4 自警団と殺害された朝鮮人 より一部抜粋

と報告されているようです。

関東大震災当時、東京にいた朝鮮人の数は?

関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実 という本には、

前述のように東京における在日朝鮮人の数は、約9,000人(労働者6,000、学生3,000)であり、そのうち震災時に帰郷・出張・休暇などで被災圏外に出ていたものは約2割ほどいたとの公式推定がある。
従って東京には7,200人、これに神奈川県などの近県にいたと推定される2,600人を加算すると、9月1日関東大震災が起きた時間にいたと思われる朝鮮人は、9,800人となる。
この数字が最も基礎的な値である。

と書かれています。

東京周辺にいた朝鮮人の数は約9,800人と想定できます。

日本人に保護された朝鮮人の人数は?

関東大震災当時、先ほど述べたような「朝鮮人が暴動を起こした」「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などのデマが発生し、日本の警察は、朝鮮人、中国人が被害にあわないように、「保護」しております。
これは、公式文書でも残っている事実です。震災ニ付テノ処置ヲ為スコトノ件
9月2日には、山本内閣は東京府下5郡に治安維持のための戒厳令を一部施行し、3日には東京府と神奈川県全域にまで広げております。

そして、千葉の習志野、警察署や神奈川県庁、目黒競馬場などの記録によれば、保護された朝鮮人の数は6,797人だったらしいです。

震災の犠牲者となった朝鮮人の人数は?

当関東大震災の被災者190万人のうち、10万5千人が死亡、行方不明となりました。
割合にすると、5.5%です。
当時の朝鮮人の東京周辺の人口が9,800人ですから、539人が震災の犠牲になったと想定できます。

朝鮮人が虐殺されたとした場合の最大人数は?

東京周辺にいた朝鮮人の9800人のうち、保護された人数が6797人、震災の犠牲となった数が539人、だとすると、残りの朝鮮人の数は、2464人です。

よって、

虐殺された人数は、どれだけ多く見積もっても、2464人です。

先の石碑に書かれていたような6000人なんて数には到底なりえません。

また、朝鮮総督府が出した資料によると、朝鮮人の被害者は832名(虐殺など230人程度+震災での死亡600人程度)とし、その調査に基づき震災時に死亡したり行方不明となった朝鮮人の遺族には一人に付き200円の慰謝金を贈ったようです。

この832名って数字、私の計算した震災の犠牲539人と自警団などに殺害された人数233人を足した人数にすごく近くないですか?
個人的には、これでファイナルアンサーな気がします。。。

また、韓国政府が言っているような「日本は1923年の東京大震災の時、数十万の韓国人を大量虐殺した事実」(在日韓人北韓送還及び両国抑留者相互釈放関係綴りp57)なんてのは存在しません。
っていうか、そもそもそんなに朝鮮人はいませんでした。。。

1910年(明治43年)8月29日、韓国併合ニ関スル条約に基づいて大日本帝国が大韓帝国を併合しました。
この時の日本内地の朝鮮人の数は千人未満です。
そして、関東大震災当時(1923年)の朝鮮人の数は、80,617人です。
数十万人はいくらなんでも殺せません。。。

ちなみに、関東大震災の翌年の1924年には、朝鮮人の数は120,238人と、4万人も増加しております。
そして、あまりにも大量の朝鮮人が日本にやってきたので、翌年には韓国から日本への「渡航制限」がかけられています。

普通、同士が大量虐殺された国になんて来ないですよね。。。

そもそも、なぜ、朝鮮人は虐殺されたのか?

関東大震災の起こる1923年の8月24日、日本では加藤友三郎首相が死去しました。
ちょうど関東大震災の一週間前です。
同月28日には、山本権兵衛元首相に組閣の大命が降りました。
しかし、大震災発生時には、まだ新内閣は組閣を終えていませんでした。
9月1日、関東大震災発生。政府のない状態の日本は、大混乱に陥りました。
そして9月2日に成立した山本内閣は、ただちに善後措置に取り組みます。

この、混乱に乗じて、いわゆる火事場泥棒などのたくさんの犯罪が起こりました。
この多くは、「朝鮮人によるもの」でした。
「朝鮮人が暴動を起こした」「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などというのは、デマとされていますが、どうやらたくさんの事件が実際にあったようです。

関東一帯を騒がした鮮人暴動の正体はこれ 東京時事新報 1923.10.22 (大正12)

放火殺人暴行掠奪につぎ橋梁破壊も企てた不逞団 (記事差止め昨日解除)

九月一日の震災後東京始め関東一帯の人を騒がせた流言蜚語の為めに遂に内鮮人にして殺害されるもの算無く、是が流言の出所に就いては尚お闡明されて居ないが、一部の不逞鮮人が混乱裏に左の如く有ゆる犯行を逞うした事で、司法当局は爾来極力是が犯罪検挙に努めた結果昨二十日一先ず取調べを終り、同時に記事差止めを解除した既に起訴されたもの十数件、此外治安警察法違犯、窃盗、横領等により起訴した鮮人二十三名、放火、毒薬投入、爆弾携帯、掠奪、婦人に対する暴行その他の事件につき、東京横浜に於て捜査中のもの亦少くない

掠奪
九月二日午後六時頃本所区中の郷附近 鄭 塋
住所氏名不詳の罹災者より数回に衣類諸道具類を掠奪し吾嬬町清地方面へ運搬の途中押えられた

放火
九月一日午後八時過日本橋北鞘町にて 氏名不詳鮮人一石橋際大谷倉庫に放火した

婦人に暴行
九月二日午後十一時過ぎ本所柳島元町金孫順
避難中の氏名不詳の一内地婦人に暴行を加えんとして遂げず、衣類高十点を強奪し亀戸署に拘禁されたが、同署類焼に瀕しななめ二日解放され行方不明

三十名の一団 柳島の呉服屋で掠奪
九月一日午後十一時過本所区柳島姜金山外三十名位の一団
柳島元町一六九呉服商中里奥三方に乱入し、店員に暴行を加え各一抱の呉服類を強奪した、犯人中姜金山は亀戸署に拘禁されたが、類焼に瀕して解放され行方不明

掠奪
九月一日午後六時より十一時本所区押上町一六五呉服商牧野弥八方、柳島元町洋品店鹿取孝次郎方同洋食店安田組二方、同一六九村上与三方、氏名不詳鮮人、十六六名金品を掠奪し酒食を貪る日本刀、棍棒等を以て襲撃し内四名取押えられ、一名は東森下町に放火し金某は日島渡辺倉庫に爆発物を以て放火した

放火爆弾
九月一日夜より三日月島二号地、月島渡辺倉庫の号、深川区東森下町附近汁粉屋自称金某外氏名不詳鮮人四名
兇器をたずさえて五名本所区菊川町方面より月島に入込み短銃を発射し或は放火、掠奪、爆弾放擲

強奪
九月二日午後二時過深川区富川町三五高橋勝治方前道路氏名不詳鮮人三名
高橋勝治を兇器を以て負傷せしめ金銭を強奪せんとして果さず逃走

少女を殺す
九月二日夜南葛飾郡木田町四つ木荒川放水路堤上氏名不詳鮮人四名
避難中の十六七歳の少女に暴行を加え後殺害して死体を荒川放水路に放棄した

棍棒
九月二日午後十時頃南葛飾郡小松川町字新町三九六二四軒長屋裏手氏名不詳鮮人一名
榎本豊吉に棍棒を以て負傷せしめ逃走した

拳銃
九月二日午後九時頃、吾嬬町請地京成電車踏切、崔先卜、金実経
警戒中の在郷軍人団に対し拳銃を発射して逃走した

狙撃
九月二日午後十一時頃吾嬬町伊藤染工場林松致
震災後白磨六連発の短銃及び実弾数十発を携帯して徘徊し群衆中に数発を発射逃走した

中尉を包囲した三十人の不逞団
九月二日午後十一時頃、南葛飾郡小松川橋第一、第二橋中間堤上氏名不詳鮮人三十名位
軍務をおび通行中の陸軍野戦重砲兵第七連隊第一中隊長代理砲兵中尉高橋克巳のオートバイを包囲し、棍棒を以て危害を加えんとしたが中尉はすきを見て脱出した

抜刀
九月二日午後十一時頃小松川町荒川放水路堤上氏名不詳鮮人一名
抜刀を携え自警団員を装い罹災民の隙を窺う中、取押えられ後逃走す

流言
九月二日午後十一時頃吾嬬町大字木下一八一道路氏名不詳鮮人一名
海嘯来るを連呼して疾走し、民心を攪乱し取押えられたが逃走したす

暴行
九月二日夜吾嬬町氏名不詳鮮人一名
氏名不詳の内地婦人に暴行を加えた

橋梁破壊
九月二日午後十一時頃南葛飾郡瑞江村下江戸川橋氏名不詳鮮人
下江戸川橋を破壊せんとして鉄棒を持って同橋橋柱を破壊中、警備中の騎兵に発見されて射殺された

飲料水へ毒 あべこべに飲まされて悶死
九月三日午前九時頃本所菊川町十字路附近自称李王源
毒薬亜秕酸七八匁を懐中し本所区徳右衛門町菊川町方面焼跡残存者が唯一の飲料水供給所たる菊川町の水道消防栓附近を徘徊中群衆に捕われたが、亜秕酸を食塩と強弁し強いて嚥下せしめられて忽ち悶死した

爆弾
九月二日午後八時頃荒川放水路本田橋際堤上呉河模
ダイナマイト十一箇雷管十五個導火線五本を所持し本田橋際堤上取押えられた

殺人
九月三日早朝南葛飾郡砂町小学校脇蓮田附近氏名不詳鮮人
挙動不審で内地人に誰何され突如隠し持ったピストルで同人を狙撃して殺害し、続いて同町附近通行中の内地人を狙撃し擦過傷を負わせて逃走した

歩兵に抵抗
九月三日午前六時頃日本橋区両国橋西袂氏名不詳鮮人
一隊陸衛歩兵第軍連に歩兵二等卒浦谷善次の両国附近巡察中に対し、鉄棒を以て抵抗し爆弾を取出し投げつけんとしたので射殺された

いたずら
九月三日午前二時頃吾嬬町請地東武鉄道線路上氏名不詳鮮人一名線路上に眠っている避難者の枕辺に水を注ぎ海嘯海嘯と連呼したため一大混乱を惹起した

[補注:切り抜き帳「災害」第3巻に以下のまえがきあり。なお紙名についても混乱があると思われる。
震災当時関東地方諸新聞は暫く休刊し発刊に際しても交通機関の故障より或は延着し或は未着に終るもあり記事の採択に努めしも震災記事、復興記事、経済界への影響等分類的に貼付し得ず、記事の日附、順序配列等の上にも遺憾少からざれど事情推察の上通覧あらんことを。]

引用元:神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 災害および災害予防(4-300)

朝鮮人の中には、「密航」してくる人も多くおり、朝鮮人同士集まってテリトリーを確保し、震災前から日本人とのいざこざもしょっちゅうありました。
そして、無政府状態の時に起こった震災に乗じて、いろいろな事件を起こしました。
当時の新聞にもたくさん書かれているので、これは、事実だと思います。
もちろん、日本人もたくさん事件を起こしております。
朝鮮人、日本人に関係なく、虐殺などの犠牲者が出るのはダメなことです。
しかし、当時の時代背景があって、こういうことが起こったということは記憶にとどめておいたほうがいいと思います。

いずれにしても、犠牲者の数を誇張したりして、他国を貶めたり、賠償を請求したりするのはダメですね。
もっと真面目にこの問題に取り組んでほしいものです。

年表
1909年:日本国内の朝鮮人の数は790人
1910年8月29日:日本が韓国を併合する
1915年:日本国内の朝鮮人の数は3,989人
1922年:日本国内の朝鮮人の数は59,865人
1923年:日本国内の朝鮮人の数は80,617人
1923年8月24日:加藤友三郎首相が死去。
1923年9月1日11時58分32秒頃:関東大震災が発生
1923年9月2日:山本権兵衛内閣が組閣
1923年9月2日:治安維持のための戒厳令を発動
1924年:日本国内の朝鮮人の数は120,238人
1973年:関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑が建てられ、「あやまった策動と流言蜚語のため六千余名にのぼる朝鮮人が尊い生命を奪われました。」と明記される
2017年:東京都知事が、「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」への追悼文を断る


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コメント


  1. しょうちゃん

    阪神淡路・東日本とカタチは違うけど、結局デマに踊らされてたんだなぁと思ってましたけど、関東の時は、一般に知られているデマ(違和感のようなものは感じてたけどそこ止まり)がデマだったのが、なんか…(新鮮でしたw)

    Reply


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