ぶれるが正義

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ぶれるが正義

2017-08-12

日本では、博士号の価値はものすごく低いものとなっております。

博士号の価値は?

いやはや、研究者をしていた私からすると、うんうんと頷けるものの、なんとも言えない心境になります。

確かに、普通の人は大学を出て22歳で社会人になるところを、そこから修士2年、博士3年を過ごして27歳、そこからポスドクで数年するともう30歳です。
業績が上がらなければさらにずるずる定職もなく、気が付けば30代後半。。。
大学を出て就職した友人が年収600万以上となっているのに、自分は300万に届かず。。。
なんてのはよくあることです。
たった一握りしかいない大学の教授になって初めて年収1000万円超えるなんてことも。

博士号とった意味がね~!
他人よりもたくさん勉強した意味がね~!

ってなりますよねそりゃ。お金的に見ればね。

知識は財産

でもね、知識は大事だと思うんですよ。
Ph.D.は、哲学博士なんですよね。
アメリカなんかじゃ結構優遇されるんですよね。
日本じゃ何の意味もない資格ですけどね・・・

ここで私のメルマガno.186より、ぶれるが正義を加筆修正して転載しておきます。

ぶれるが正義 2017.2.24 発行 no.186

「負けず嫌いは、ほどほどに。負けるが勝ち。ぶれるが正義。」

ツイッターでとある方がつぶやいておられました。
私は素晴らしい言葉だと思いました。

知識とお金、どっちをとるか?

近年は、「成功した人」の話を聞く機会がたくさんあります。
ユーチューバーで成功した人、頑張って頑張って努力が報われて大成功した人、こうやったらお金が儲かるよ!っていうコンサルをしてくれる人、いろんな人がお話してくれます。
でも、その陰で、努力の甲斐もなく失敗していった人たちもたくさんいます。
そういう人の話はなかなか聞けません。
今の日本は、「負けたら終わり。ぶれたら悪。」という意識の中にありますので、「負けた人」の話を聞く機会はめったにありません。

失敗談は知識の宝庫

そんな中、すごいなぁと思ったのは、「しくじり先生 俺みたいになるな!!」という番組です。

これ、人生で失敗したことを面白おかしくお話してくれる番組で、「成功した人の話を聞く」よりも、何十倍もの知識が得られます。
失敗したことを話すのはとても勇気がいります。
しかし、それをあえて話すことで、たくさんの知識と経験を人々に与えてくれるわけですね。

昔のおじいちゃんおばあちゃんが教えてくれたこと

失敗したらお金は無くなります。
ですが、知識はなくなりません。

なので、その知識や経験と、「なぜ失敗したのかという理由」を理解さえすれば、あきらめない限りはやり直せるんです。

それを教えてくれるのは、昔は親やおじいちゃんおばあちゃんでした。
しかし、今の時代は親やおじいちゃんおばあちゃんからそういうことを教えてもらえる子供は非常に少なくなりました。

知識をつけるにはどうしたらいいのか?
身につけた知識をどうやって子供に伝えたらいいのか?
私は現在もず~っと悩み中です。

末は博士か大臣かはもう古い

戦後の高度成長の頃までは、子どもの将来の理想像を表現して「末は博士か大臣か」と言われていました。
博士になること、大臣になることは、最高の理想だったのです。

しかし、理想は時代とともに変わるもので、最近は「ユーチューバーになること」を夢としている子供が多いそうです。

ユーチューバーとは、面白いことを動画にしてyoutubeにアップして、その広告収入などで暮らしている人たちです。
日本では、ヒカキンとかが有名ですね。
彼なんか余裕で年収1億円超えてます。

子どもにとっては
面白いこと、自分のやりたいことをしてお金を稼ぎたい = ユーチューバー
ということになるんでしょう。

なりたい職業ランキング

しかし、これが就職を間近に控えた高校生や大学生となると、そこにリアル感が伴ってくるようです。

昨年のなりたい職業ランキングでは、男性は安定感を求めて「公務員」、女性は専門職の「看護師」が 1 位となっているようです。
参照:若者の「将来なりたい職業」に就く大人たちの仕事満足度(2017.05.08)

東芝ですら不安定な企業となる現状では、やはり一番安定しているのは公務員でしょう。
そして、その公務員になるためには、ある程度の学歴が必要となります。

学歴の賞味期限

でも、「学歴」には、賞味期限があります。
これは、社会生活を続けていくと徐々にわかってくるんですが、学生さんにはわかりづらいものでしょう。

高学歴にも「賞味期限」がある。それは何歳までか
丸山貴宏 [株式会社クライス・アンド・カンパニー代表取締役]
【第56回】 2017年2月20日

企業が学歴を 重視する理由

人材採用において、多くの企業が学歴を重視しています。特に新卒採用においてはそうです。
「学歴差別」という批判はあっても、なぜ企業は採用において学歴を重視するのか、まず確認しておきましょう。
その大きな理由は、選考の効率がよいからです。
要するに世の中でいう一流大学出身者のほうが、企業が“合格”と考えている水準以上の人の出現率が高いのです。
地頭のよさと学歴はかなり関連性があり、採用の際に候補者の効率の良いグルーピングをしようとするとき、出身大学の水準は非常に参考となる指標です。

(略)

では、企業の採用において学歴はいつまで重視されるのでしょうか。
職歴とのバランスで言うと、新卒採用時は職歴がゼロですから学歴の評価が100パーセントです。
それが徐々に齢を重ねていくにつれ、職歴の割合が増えていき、32~33歳頃にその割合が逆転します。

転職コンサルタントとしての経験から感覚値で言うなら、35歳であれば80~90%が職歴、そして40歳になれば学歴の評価はほぼゼロになります。

ですから、一流大学を出た人でも、40歳になる頃には学歴があまり評価されなかったり、逆に学歴がいま一つだった人が仕事の頑張りによって非常に高い評価になったりすることもあり得ます。

このように、学歴には「賞味期限」があります。
転職の際に、ご自身の学歴が武器になると考えている方は注意しなくてはなりません。
逆に学歴を気にされていた方は、仕事で実績を積むほどに、学歴は気にされなくなると知っておくといいでしょう。
当たり前のことですが、どの大学を卒業したかにかかわらず、やはり社会に出てからの本人の頑張りが大切なのです。
(株式会社クライス・アンド・カンパニー代表取締役丸山貴宏)

社会に必要なスキルは、学歴だけではないようです。

本当に頭の良い人とは?

高学歴の人と、社会で通用する「頭の良い人」は違います。
高学歴の人は、親も出自もしっかりしている人が多いため、初めての就職にはかなり有利に働きます。
また、地方都市の大学などを出てその土地で就職する人というのもかなり優遇されます。

東京大学に行った人で成功する人が多いのは、東京大学を出ても周りの人脈がそのまま東京に残り、その人脈を最大限に使えるからです。

逆にいえば、地方の大学を出て東京に行っても全く人脈がないため、スタートの時点でかなりのハンデがあるわけです。
地方の大学を出て東京に行く人よりも、地方の高校を出て、そのままその土地で就職して人脈を駆使している人のほうが成功率は圧倒的に高いです。

最近は名前が書ければ入学できるようなFラン大学にでも行ったほうがいいっていう傾向があるのですが、それは時間の無駄かもしれませんね。

就職して、人脈を駆使しながら社会経験を積んで、ある程度の年齢に達すると、そこからは学歴ではなく、人脈や能力、知識が優遇され始めます。

ここからが人生の本番のような気がします。

将来設計は高校でしないといけない

若者が将来努力をしてなりたい姿は、性別・年齢を問わず

「専門的な知識・技術・能力で活躍する人」

だそうです。

研究職なんかが「将来なりたい職業」としては上位になっているんですが、ぶっちゃけ、研究職なんかは大学院を出て博士号を取る。っていう過程を踏まないとなれません。

なので、大学選びの時点で「職業の選択」をしておかなければなりません。

高校生の時点で将来設計ができていないと、「専門的な知識・技術・能力で活躍する人」にはなれないのが現状です。

専門的な能力を身に付けるには環境が必要

やはり、専門的な能力を身につけるのはそれ相応の努力と根性とお金と環境が必要となります。
医者や教授などの職業の親を持つ人は、そもそも親の意識が高いため、専門的な知識・技術・能力で活躍できる人になれる確率が高いようです。

個人的にはこれはおかしいと思っておりますが、高校の時点では、こういったことを教えてくれる親以外の大人が周りにいるのは稀だと思いますのでしょうがないのかもしれませんね。

こういうことを教えてくれる「場」があれば、子供の将来も大きく変わるのかもしれませんね。
こういう場を作りたいですね。。。

公務員なんか、誰でもできます。
しかし、「専門的な知識・技術・能力で活躍する人」は誰でもできるわけではないようです。
それはもう、小さいころからの「ものごとの考え方」などでガラッと変わります。
やはりこれは、親の考え方などがモロに現れる部分なんでしょうね。

専門で活躍する人とそうでない人との違い

ツイッターで、山猫だぶ @fluor_doublet さんという専門的な知識・技術・能力で活躍する方が興味深いツイートをしておられましたので、一部転載しておきます。

「いい話であれば創作でもかまわない」という空気を感じることがある。
「嫌いな奴を叩くためなら理由は問わない」というのも。意外と似ている。
人間は、自分の望む展開であれば、事実無根でもいいんだという考え方。

そのスタンスは、科学をやってる人には命とりになるかも。
捏造の温床となる背景は様々あるが、直接要因となるのはその考え方かもしれない。

「まるっきりつまんない話だが事実に立脚している」「自分の目論見とは全く逆だが、科学的にもっともらしい」、これを素直に受け入れないとね。

色々作業仮説を立て、少しずつストーリーを構築しながらもくろむ。
そしてそれを膨らませ、あと一歩のところで、どんでん返しの事実が出てくることがある。
大風呂敷を広げた後のどんでん返しは実につらい。
しかし、そちらが正しい。
それを受け入れ、テヘペロすることは大事だ。

そこに、ひとのこころの弱さを見ることがある。

森羅万象はひとのこころに寄り添わない。
自然科学は人間の都合とは関係ないところに本質がある。
たったこれだけの話だ。

負けず嫌いは、ほどほどに。負けるが勝ち。ぶれるが正義。

捏造の話をだいぶ前に聞いたことがある。
その原因が、どうも大風呂敷を広げた後の、目論見外れのどんでん返しだったっぽいのだ。
いろいろ教訓がある。

今後の展開で、大風呂敷を広げ他人を巻き込むなら、それ以前にそうとう入念にデータを集め、どんでん返しの余地がないようにしなくちゃいけない。
希望的観測でストーリーを組み立ててはいけない。

それもあって、勝敗ベースで考えるひととは、科学の話はなるべく避けるようにしている。
結局、何も得られないことが多い。

間違ってもいいんだよ。
ダメなのは、自分の過ちを認められないこころの弱さだ。
これはとにかく肝に銘じておこう。

他人に石を投げると、その根拠に大きな誤ちを含んでいたのがわかったときに、反撃にあう。それもあるのだろう。
すごくできる人は腰がめっちゃ低い。いつでも軌道修正ができる体勢にあるのだろう。
目的は深い理解を得ることにある。石投げ合戦ではない。

一般的に、他者とのコミュニケーションで大事なのは、八方美人で誰にでも仲良く敵対心を持たれないような状況を作り上げることでしょう。
なので、ものすごくコミュニケーションがうまい人は、自分の意見を言う前に相手の意見を聞いて、それに合わせて対応することができます。

でも、科学者が求めるコミュニケーションとは、

相手と仲良くすることではなく、自分の知識を深めること

な気がします。

なので、科学者の多くは、自分の意見が間違っていると認識したら、いとも簡単に訂正しちゃいます。

知識を深めてくれてありがとう!
あなたの意見が正しいようだから、意見を変えました!

ってことになります。

科学者ではない人からみると、今まで対立してたのに、急に意見を変えてしまうので、意見ブレブレやな!ってなるようです。
しかし、本人からしたら、まったくぶれてないんです。

求めるものが違う

相手が求めるのは「勝ち負け」。でも、自分が求めるのは「知識」

この違いがあるので、科学者同士の議論なんかは、今まで石の投げ合いをしていたのに、急に終戦となるんです。

この違いを理解できる人は、「専門的な知識・技術・能力で活躍する人」になれるかもしれません。

まあ、どんだけ頑張っても、博士号の価値が低い限り、「専門的な知識・技術・能力で活躍する人」は一部を除いてお金はあまりもらえません。
それでもいいんですよ。
目的はお金ではなく、知識なんですから。


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