アンネの日記の真実と事実

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アンネの日記の真実と事実

2017-08-24

世間には、なにが事実で何がデマなのか、よくわからないものがあります。

Contents

なにが事実で何がデマなのか

例えば、

南京大虐殺では30万人が日本兵に虐殺された
従軍慰安婦は日本軍に強制連行された
731部隊では細菌兵器研究がなされていた
アンネの日記はアンネが書いていない
ホロコーストはなかった

などなどです。

アンネの日記はアンネが書いていない?

先日、高須クリニックの院長がこんなツイートをしておられました。

どうやら、「アンネの日記」という本にもなった日記は、アンネ自身が書いたものではない。という主張のようです。

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その主張の根拠として、

・アンネのサインの字と日記の字は全く違う。
・子供にあんな名文は書けない。
・アンネの日記はボールペンで書かれているが、当時のドイツにはボールペンはまだなかった。

という証拠を上げていました。

私は、ちょうど二か月前、アンネの日記について、メルマガの最終号に書いたばかりでした。
なので、それを加筆修正して、

「アンネの日記」は本当は誰が書いたのか?
を「科学的に」検証してみたいと思います。

事実と真実 2017.6.23 発行 no.200 最終号

私がこのメルマガを通してみなさまに言いたかったことは、

ものごとを客観的にかつ論理的に見る力があると、事実と真実がわかってくるので生きやすいですよ~。

っていうことでした。

事実と真実の違い

事実と真実は違います。

事実」とは客観的に見た時の「唯一の事柄」の事です。
英語では、fact

真実」とは、それぞれの「人の主観に基づき導いた結論」の事です。
英語では、truth

複数の人間が同じ場所で同じ「事実(出来事)」を体験しても、人はそれぞれの主観によって「真実」を作り出します

その人から見た「真実」が実際の「事実」とは異なる。ということはよくあります。

例えば、あなたはいま、ものすごい速さで動いていますか?
動いてないですよね?

でも、事実、秒速390mで動いてるんですよ。地球は自転してますから。

さらに言うと、あなたは秒速30kmで太陽の周りを公転しています。

そして、太陽系は銀河系の中を秒速220kmで移動しています。

客観的に見て、あなたはものすごい速さで動いている。
これは事実です。
この場合の客観的視点とは、「宇宙からの視点」です。

でも、あなたはそんな速さでは動いていないと主張しますよね。
それは正しいんです。
地球上にいて、「地球上の目線」で見ている限りは動いてないように思います。
これが真実です。

物事を客観的に見る

事実と真実は違います。

真実とは、「本人が頭の中で最も納得できる説」のことをいうのです。

科学的、論理的に考察するには、事実を知ることが重要です。
自分が見ているものは「真実」であって「事実」ではないかもしれないのです。
客観的に物事を見なければ、それが「事実」かどうかはわかりません。

だから、「事実」を知りたい人はものごとを客観的に見るんです。
ものごとを客観的に見る癖がつくと、「真実」だけを見ている人からすれば、冷酷だとか、機械的だっていう目で見られることが多くなります。
なにを考えているのかわからない。って言われることも多くなります。

そういう時は、私の場合、その人の中にある真実を事実に近づけるためにはどういう説明をすれば納得してくれるのか?
を考えているんです。たぶん。

たとえば、
今まで事実だと思っていたことが実は真実であって事実は別にあるんだよっていうのを他人に認識させるためには、それ相応の客観的証拠を用意しなければいけません。

例えば、「アンネの日記」という本を「アンネ本人」が書いたと思っている人に、「それは違う」ってことだけを端的に言ってもおそらく理解してもらえません。
全く相手にしてくれないでしょう。
下手したら、「ああ、こいつはばかなんかな?常識を知らないのかな?」って思われて無視されるでしょう。

なので、先の高須院長のツイートでは、その主張の客観的な根拠として、

・アンネのサインの字と日記の字は全く違う。
・子供にあんな名文は書けない。
・アンネの日記はボールペンで書かれているが、当時のドイツにはボールペンはまだなかった。

という証拠を上げていました。

高須院長も科学者だと思うので、「客観的に」ものごとをみる癖がついているんだと思います。
しかし、その根拠として挙げたものが、実は「真実」で「事実」ではなかった場合、話はガラッと変わってきます
だって、それが「客観的な証拠」として通用しないかもしれないんですから。

客観的な証拠を提出するのは基本

誰かが何かを言っているのに、まったく相手にしない人は地位の高い人、プライドの高い人、お年寄りに多いです。
自分が絶対正しいと思っているから、他人の意見には耳を傾けません

本当に賢い人は、だれがどんなことを言おうとも、一応何を言っているのかを聞く姿勢を示すと思います。
なぜなら、新しい知見を知りたいと常に考えているからです。
そして聞いてみて、疑問に思ったことを質問したりして、新たな知見を得ようとします。
はなから「あいつが言ってるのはデマだから聞かなくてもわかる。」とかって言っちゃう人は、あんまり賢くありません。

でも、他人の意見をいちいち吟味していたらいくら時間があっても足りないし、無駄に終わるかもしれません。

私はお人よしじゃないので、

「アンネの日記はアンネが書いたって教科書にも書いてあるだろ。バーカ。」

っていってくるような、なんの科学的根拠もなく煽ってくるような赤の他人ならそこでほうっておきます。

でも、きちんと付き合いたい相手に対しては、きちんと説明します。

アンネの日記をアンネが書いていない。

ということを相手に認識させるためには、

「アンネが死んでから開発されたボールペンで書かれているんだよ?」

とか、

「アンネの筆跡とは違うんだよ?」

とかっていう「客観的な証拠」を淡々と述べる必要があります。

客観的な事実に基づいた証拠を提出できる人は賢い

はい。ここまで読んで、

「アンネの日記はアンネが書いたんじゃないんだ!知らなかった!」

って思った人、

自分でちゃんと調べましたか?
疑問に思いましたか?
「再確認」しましたか?

一般の人は、偉い人や肩書きのある人が言っていることを鵜呑みにする傾向があります。
あの人は偉くて賢いから、あの人が嘘を言うはずがない!」って妄信しちゃうんですね。。。
しかし、科学者などの、「常に冷静に、公平にものごとを見る訓練をしてきた人」にはそれは通用しません。

実は、高須院長のだした「証拠」は、事実に即したものではありません

・サインの字と日記の字は全く違う。
筆跡は成長とともに変わったものだったり、清書したものであったり、本にするときに他人が書いたものであったりします。
なので、アンネのサインと日記の字は異なります。
しかし、「原書は本人の筆跡」だということが筆跡鑑定によって確定しています。

・子供にあんな名文は書けない。
アンネは小説家を目指していたので、それ相応の文は書けました。
また、日記が本になるときに、たくさんの編集が入っています。

・アンネの日記はボールペンで書かれていますが、当時のドイツにはボールペンはまだなかった。
アンネの日記でボールペンが使用されているのはごく一部で、それは、ページ数や添削、削除に用いられていたもので、父であるオットー・フランクが編集の際に書いたものと、筆跡鑑定の際に鑑定人が付けたものであることが確定しています。

あなたは、これらの証拠を実際に自分で確認しましたか?

要は、そこなんですよね。
自分で、「客観的な証拠が事実であるかどうかを見極めるのが重要」なんです。

「アンネの日記の原書は本人が書いたものだよ!あなたの真実の根拠として出てきた証拠はすでに否定されてるよ!」
って言ってくれる人は周りにいますか?
どうやら、高須院長の周りにはいなかったようですね。。。

きちんと、「客観的な事実に基づいた証拠」さえ出せれば、あとは相手の問題です。

相手が、その「客観的な事実に基づいた証拠」を検証して、自分の中の「事実」が実際は「真実」だったのでは?と「再確認」し、頭の中の真実をより事実に近いものに塗り替えていく。
という作業ができる人なら、十分納得するんです。

なので、科学者なんかは、「客観的な事実に基づいた証拠」の出現により、今までの主張をコロッと180度転換することが多々あります。
だって、今までの自分の中の真実は事実ではないことが証明されたわけですから。
意見を変えなければ、新たな知見を無視することになりますから、意見を変えないほうがおかしいです。
一般の人で、そういう訓練を積んでいないのにそれができる人は、よほど人間ができているか、賢い人だと思います。

アンネの日記の事実

・アンネの日記の原著はアンネが書きました。
・小説家を夢見ていたアンネは、それを出版しようとして清書もしていました。
・アンネの死後、それを出版社にもっていった父がボールペンで加筆修正し、母親への悪口などを削除しました。
・さらに出版社の編集部がわかりやすいように編集しました。

これが、客観的な事実に基づいた証拠です。

「アンネの日記」というはアンネが書いてない。も真実。

「アンネの日記」はアンネが書いた。も真実。

本として出版されている「アンネの日記」のすべてをアンネが書いたわけではない。
ただし、原著はアンネが書いた。
が事実のようです。

客観的に、論理的にものごとを捉えることができれば人生は楽

大人になってから、「それは違うよ!」って指摘してくれる人が身近にいるっていうのは財産ですよね。
いわゆるブレインですね。
昔で言うところの軍師です。
ブレインがいないと、ものごとはなかなかうまくいかないですね。

客観的に、論理的にものごとを捉えることができれば、世の中の90%くらいはだいたい予想できます。

私はメルマガで時事問題とかいろいろと書いてきましたが、そこそこ当たっていたと思います。(今のところ全部当ててると思います)
前回のメルマガでも、

「テロ等準備罪は国際組織犯罪防止条約に入るために必要なんだよ~」

ってサルでもわかるように書きましたよね?
(ブログではこちら サルでもわかるテロ等準備罪の解説

結果、こうなりました。

「共謀罪」法を公布、7月11日施行 夏にも国際条約締結
2017/6/21 10:58

犯罪を計画段階で処罰する「共謀罪」の構成要件を改め「テロ等準備罪」を新設する改正組織犯罪処罰法が21日午前、公布された。
同法の付則で公布から20日後に施行すると定めており、7月11日に施行されることが確定した。

 政府は施行を受け、各国と組織犯罪の捜査情報を共有できる国際組織犯罪防止条約(TOC条約)を締結する手続きを進める。
今夏にも締結する方針だ。

(略)

メルマガでも書いていた通り、条約締結の手続きが進むようですね。

論理的に客観的にものごとを見れるようになるとこれくらいは先を読めるんです。

別にこんなの特殊能力じゃないです。
ある程度の知識をもって論理的に考えさえすれば誰にでもできます。

しかしながら、「ある程度の知識」だけでは理解できないものも世の中にはたくさんあります。
例えば、

オジギソウはなんでお辞儀するの?

って聞かれたときに、

「接触刺激により、主葉沈のアクチンのチロシンの脱リン酸化によってアクチン繊維の分布が変化し、それにより細胞の形が変化するから。」

っていう回答が来て、なるほどな!って思う人は少ないと思います。

それよりも、

「手でつんつんすると、その刺激で曲がる部分の水分がなくなって、しおれたみたいに細くなってくるので曲がる。
20分ぐらいたって水が元に戻ると曲がる部分も元通り太くなるから元に戻る。」

って言われたほうが、頭の中でイメージしやすいですよね?

頭の中でイメージできるように説明する能力と、科学的なメカニズムを説明する能力は違います。
科学的なメカニズムを説明するにはそれなりの基礎知識が必要となります。
「基礎知識のない素人にわかりやすく説明する」にはそれ以上の知識が必要となります。

原発事故の際に、素人にもわかりやすく説明できた科学者の人は少ないと思います。

逆に、ウソをわかりやすく説明した素人を大衆は信じ込みました

ソフトバンクの孫さんが、
「お願いだから故郷を捨てて逃げてくれ!放射能は危険だ!」
って福島の人に言ってましたよね?
偉い人=正しいことを言う ではないんです。

論理的、客観的に判断できると、デマに流されずに済んで、生きやすくなるんです。

知識は生きやすくするためのツールです。

でも、池上さんみたいに新聞を毎日14紙も読んでも意味ないと思います。
だって、新聞には論理的、客観的に書かれた記事はほとんど無く、それぞれの新聞が主張する「真実」が書かれているだけですから。
だから新聞によって見出しや言ってることが違うんです。
そして、どの新聞を見ているか?によってもそれぞれの人の「真実」が異なってくるんですね。

それを端的に表していたのがこれです。

東京新聞読者の安倍政権支持率は「5%」、対する産経新聞読者では「86%」― 都内世論調査番外編米重克洋 | 報道研究者/JX通信社 代表取締役
6/20(火) 1:52

(略)

この結果、安倍政権の支持率は各新聞毎にはっきりと分かれる傾向が見えた。

特徴的なのは産経新聞と東京新聞だ。
産経新聞読者のなかでの政権支持率は86%に達した一方で、
東京新聞読者ではわずか5%と極端な差が表れている。
不支持率は産経新聞読者が6%なのに対して、東京新聞読者は77%と、そのまま支持率を裏返した結果となった。
朝日新聞、毎日新聞の読者も政権支持率はそれぞれ14%と9%にとどまり、かなり低い。

(略)

産経新聞を読んでいる人の大半は安倍政権支持です。
それに対して、東京新聞を読んでいる人の大半は不支持です。
誰の言葉に影響を受けるか?によって、真実は違ってきます。
なので、誰かの言葉に頼るんじゃなく、自分で調べて自分で自分の意見を見つける。ってことが非常に重要なんです。

事実を知るには疑ってかかること
疑問があったならとことん調べること
矛盾が生じたら原点に戻ること
他人に説明できるように整理すること
などが重要ですね。

特に、「他人に説明できるようにする」っていうのはものすごく重要です。

頭では理解してても、他人に説明できないなら、理解していないってことです。

他人に説明し、その人の質問に全部こたえられるようになったら本物ですね。
人生、日々勉強ですね。

さて、私が書いていること、事実かどうか、確認しましたか???


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