昔と今とでは「経験と知識の質」が違うのでは?という考察
2018-06-01
今どきの若いもんは。。。っていう大人、結構たくさんいますよね。
でもそれって、その人が子供だった時、その人も当時の大人に言われていたんですよね。
だから子供の「未熟さ」はほとんど変わっていないと思うんですよね。
変わったのは子供の「未熟さ」じゃなくて、世間のほうだと思うのです。
Contents
今と昔では目に触れる情報量が違う
日大アメフト部の例に見るように、
スパルタ教育によって根性で何とかするという昔ながらの指導方針
が通用しない時代を迎えました。
最近は、スポーツ科学が発展し、練習中に水を飲むな!とか、監督が黒と言ったら黒と言え!とか、うさぎ跳びで校庭走ってこい!とか、声が出てないのは弛んでる証拠だ!とかいう根性論が成り立たなくなってきたのです。
これに気付かずに従来通りの指導方法を行っていた場合、「古い指導方法だ!」と世間からバッシングを浴びるようになってきたのです。
もう、「巨人の星」みたいなアニメは受け入れられない時代になったのです。
それと同時にSNSの普及などにより、誰でもたくさんの情報に触れることができるようになりました。
誰でも自分でやり方を学んだり、理論を学んだりできるようになると、
自分でなんでも簡単にできるという錯覚
に陥るようになります。
頭の中でできることと実際にできることは違う
しかしながら現実世界はそう甘くはないので、
頭の中でできたことなのに、実際に行動にうつしてみるとできなかった
という経験をたくさんするわけです。
まあ、みんなそうやって大人になっていくわけですが、今と昔では、触れる情報量が圧倒的に異なるため、「たぶんできる」って思うことの量にも差が出てきます。
子供のころから野球ばかりを見てきた人は、情報が野球ばっかりなので、野球のことばかりを考えて、野球を実際にやってみて、「(野球に関して)できなかったことがどんどんできるようになる」という経験を積みます。
子供のころからサッカーばかりを見てきた人は、情報がサッカーばっかりなので、サッカーのことばかりを考えて、サッカーを実際にやってみて、「(サッカーに関して)できなかったことがどんどんできるようになる」という経験を積みます。
しかし、子供のころから野球とサッカーとアメフトと水泳と・・・と、多岐にわたって見てきた人は、情報がたくさんありすぎて、たぶん全部「やればできる」。という状態になります。
要するに、専門性がなく、一般に広く浅い知識と経験しか持てなくなる。という状況になるわけです。
昔の情報量の少ない時代の人や、一つの事を集中的にやっている人は、
頭の中でできた
↓
実際にやってみる
↓
できなかった
↓
なぜできなかったのか考える
↓
できる人に教えてもらう
↓
できるまで頑張る
↓
できるようになる
というプロセスをきちんと踏んで大人になっていくわけですが、今の時代の広く浅い知識と経験を持つ人は、
頭の中でできた
↓
たぶんできるから次のやつにいこう
とか、
頭の中でできた
↓
実際にやってみる
↓
できなかった
↓
諦めて次のやつにいこう
とか、
頭の中でできた
↓
実際にやってみる
↓
できなかった
↓
なぜできなかったのか考える
↓
できる人に教えてもらう
↓
できないのは教え方が悪い!
とかっていうように考える人が多い気がします。
あくまでも経験則ですが。
意識だけ高い系の人が増えた
これと同様に、自分は何でもできるとか、自分は論理的な思考ができるとか自分は人とは違って特別なんだって思いこんでる、いわゆる意識(だけ)高い系の人がたくさんいます。
最近、Twitterでこんな話題がありました。
Twitterには「文字は分かるが文は読めない」という人が一定数存在する話
例えば「今週は暑かったのでうちの会社はサンダル出勤もOKだった」という呟きが拡散されると
「何故今週だけはOKなんだ?」
「サンダル無い人は来るなって?」
「暑いならともかく基本はNGだろ」といった”文字は分かるが文は読めない”人が必ずいて、国語力が無いと無駄に苦労するよなと感じます…
— Eva (@evaeva61979707) May 25, 2018
https://twitter.com/evaeva61979707/status/999852579684167680
これ、予想外に拡散されたのだが、不思議なのはそんな”文字は分かるが文は読めない”人達に限って、攻撃的&喧嘩腰なコメント/引用RTをなさる点。
尾木ママの「国語が苦手だといじめっ子になりやすい」という言葉を思い出す。
悪気は無いのだろうけれど、結果的に嫌な奴になってしまうという地獄。— Eva (@evaeva61979707) May 28, 2018
国語の読解力がない人がたくさんいる。ということですね。
で、実際に、このツイートのレスには、
梅こんぶ@kagayakinaka1
10 時間10 時間前
返信先: @evaeva61979707さんそもそもツイートには140字しかつぶやけなくて情報量がすくないから、読む人それぞれで解釈が生まれるのは当然。読んだ人がそれどういうことやねんってリプを飛ばすことをクソリプ呼ばわりするツイート主が意味わからん。主が言ってるのは国語力以前の問題な。
https://twitter.com/kagayakinaka1/status/1001931868290232320
とか、誰もクソリプとか言ってないのに、勝手に人の言っていないことを言ったことにしちゃう人や
木霊@AliceHearts_m
5月26日
返信先: @evaeva61979707さんあの、間違っていたらすみません
これ、呟きのほうが悪いのでは?
読点を入れなかったり二文に分けたりしなかった為に、何が言いたいのかを読む側が正確に読み取ることができない文章になっていると思うのですが…あの、間違っていたらすみません
これ、呟きのほうが悪いのでは?
読点を入れなかったり二文に分けたりしなかった為に、何が言いたいのかを読む側が正確に読み取ることができない文章になっていると思うのですが…— 木霊 (@AliceHearts_m) May 26, 2018
などという、私が理解できないのはあなたの書き方が悪いのでは?という人がリプしているんですね。
これもやっぱり、
昔と今との「経験と知識の質」が異なっているから起きることなのではないかな?
と思うんです。
嘘を嘘と見抜ける人とそうでない人の違い
20数年前はこんなにSNSが発達しておらず、私はBBSいわゆる巨大掲示板で自分の思考力や文章力を確かめていたのですが、そのBBSで私は非常に面白い経験をしてきました。
その時のお話をメルマガに書いていたので、一部引用しておきます。
メルマガID: 0001604001~生物学博士いいなのぶっちゃけていいっすか?~
・バカでもチョンでものおはなし・・・2013.8. 9 発行 no.14
昔、私は「にちゃんねる掲示板」の東亜板にいまして、そこでたくさんの知識を得ました。
私が思うには、にちゃんねるは「勉強の場」です。
子どもにももちろん、教えてあげたい掲示板でもあります。しかし、「にちゃんねるを見てる!」というと、皆様はあまりいい顔をしないようです。
何故かと言いますと、この掲示板では、年功序列、目上の人は敬う。っていう日本の古き良き風習が通用しない
からのようです。
地元で博識と評判の高い人でも、にちゃんねる掲示板にくると「ぼっこぼこ」にされちゃいます。
いわゆる「井の中の蛙大海を知らず」の人は、そのあまりの罵詈雑言に辟易してしまいます。
しかし、本当に知識のある人は、尊敬のまなざしで迎え入れられる
のがこの掲示板のいいところです。
それがたとえ中学生であっても。にちゃんねる掲示板ってのは匿名掲示板です。
匿名の掲示板では、年齢や性別、職業や名誉なんかは通用しません。「知識のみ」でのガチバトル
です。
東大教授でも変な事を言うと「カス」扱いです。
プライドの高い人は、自分の知識の無さを理解できず、「にちゃんねるは便所の落書きだ!」と捨て台詞をはいて去っていきます。
自分が便所の落書き以下の存在だから受け入れられなかったことすら理解できずに去っていきます。ネットの普及によって、ソーシャルメディアってのが流行りだしました。
ツイッターやフェイスブックにたくさんの人が参加するようになりました。
そこでは、今までは「にちゃんねる掲示板」にも存在しなかったような光景が少しずつみられるようになってきました。すでに偉い地位についている実名の人が持論を展開し、信者を獲得し、意見の相違がある人を無視し、ある種のコミュニティーを作り始めたのです。
これだと、単なる宗教なのです。
SNSは「勉強の場」だと思っている私にはまったく理解できないのですが、これも一つの使い方なんだろうなぁ。と理解しています。実名の人は、匿名の意味を理解していないように思います。
匿名だからこそ、地位や名誉に関係なく、わからない事を質問できるし、バカなことを書いても許される
のですが、実名だとそうはいきませんよね。
プライドが邪魔をして、知識を吸収できずにいる人を見ると、頭の固い人だなぁ。もったいないなぁ。と思います。にちゃんねる掲示板の東亜+板に私がいたころ、匿名を利用して知識を得る手法が編み出されていました。
それは「ピラホロごっこ」と呼ばれていました。これは高度な遊びで、
高度な知識を有している人(ピラニアと言います)が、バカな朝鮮人のふりをした知識人、もしくは本当に馬鹿な朝鮮人(ホロン部と言います)を馬鹿にしながらも、知識を披露し、見ている人に知識を与える。
という遊びです。
ピラニアとはあの獰猛な魚の事です。
ホロン部とは、「日本は滅ぶ!」を、「日本はホロン部!」と書き間違いをした(おそらく)バカな朝鮮人のふりをした人に由来します。ピラホロごっこは、ピラニアが魚を骨まで食い尽くすように、「ホロン部を骨まで食べてしまうように論破していく。」っていう遊び
です。
ピラニア軍団とホロン部軍団との壮絶な罵倒合戦の中に、事実がたくさんちりばめられているわけです。
よく言えば、ディベート。悪く言えば、悪口合戦です。そのピラホロごっこの例をあげますとこんな感じです。
ホロン部「日本軍は朝鮮を植民地支配して名前を奪った!!!謝罪しろ!!!」
↓
ピラニア「当時、朝鮮には戸籍が無く、家族構成がわからなかったので、自分の子供を孕ませちゃったりする人も多く、苗字も無く、中国にバカにされていたので、日本人が「馬鹿にされないように苗字を付けましょうね!」っていって、朝鮮人に「任意で」姓を付ける機会を与えてあげたのですよ。」
↓
ホロン部「そんなことはない!苗字を奪って、改名したら本名が使えないんだ!」
↓
ピラニア「では、通名じゃなく、本名で生活したらどうですか?通帳も本名と通名とで二つ作って悪さするから朝銀は破たんしたんですよね?」
↓
ホロン部「お前らに愛情は無いのか~~!!!」こんな感じのやりとりが、毎日のように繰り返されているのです。
これ、ホロン部役のほうが知識が必要なんですよね。
ピラニアの正論に対して、隙をついて反論をしていく知識が必要なんですよね。
やってみるとわかりますが、難しいです。実際にやってみると、いつもの自分と違う立場で、相手の立場で思考できますので、頭の体操にはもってこい
なのですね。
ここで私はかなり鍛えられました。
時々、ホロン部には本当に知識の無い朝鮮人、もしくはものすごく体を張った知識人が紛れ込むこともあります。
こんなことがありました。ホロン部「日本の友達から借りていた日本製のテレビが壊れた。返さなくてはいけないのに!なんとかしろ!差別だ!!!」
↓
ピラニア「日本製品は、赤く塗ると三倍の能力を発揮する(ガンダムのシャアの機体の事)ので赤く塗ったら直るし、友達にも喜ばれるぞ!」
↓
ホロン部「そうなのか!!!やってみる!!!」
↓
ホロン部「おい、映らないぞ!騙したな!卑怯者の日本人!」
←当時の実際に赤く塗られたテレビの写真以下略
高度に知識のいる遊びと、その遊びを理解できない本当のバカが入り混じると、本当に面白い世界が展開されます。
今回の、Twitterには「文字は分かるが文は読めない」という人が一定数存在する話においても、
実際は理解しているのに、理解していないふりをしてレスをする遊び
をしている人も何人かおられます。
リアルに文が読めない(理解できない)人を「釣って遊ぶ」人です。
これを、「釣りだろwww」っていってその釣りを見破る遊びもあります。
昔っから、わかっていて遊ぶ人と、本当にわかっていなくてマジレス(まじめに返事をする)する人がいるんですね。
話を元に戻しますと、
文字は読めるけどもリアルに文を理解できない人ってのは昔からいるんです。
しかしながら、最近、
理解できていないくせに、自分は何でもできるとか、自分は論理的な思考ができるとか自分は人とは違って特別なんだって思いこんでる人
が増えてきているように思うんですよね。
https://twitter.com/iina_kobe/status/1001060634404913152
やっぱり学校の勉強は大切
こういう大人にならないように、やっぱり学校のお勉強は大事なんだと思います。
「学校の勉強なんかなんの役に立つの?」っていう子がいます。
実際に学校の勉強がどのように役に立つのかっていうのを、木坂氏がFacebookに書かれていたので引用したいと思います。
↓
私が親になる可能性はないんだが、ただこの先、小・中学生に出会ってもし打ち解けることがあるなら、「勉強はしておきなさい。」だけでは不親切だと思うので、無駄に考えて見た;
国語:主人公の気持ちなんかわからなくていいけど、友達の気持ちと大嫌いな奴の気持ちは両方わかるようになっておいたほうがいい。
漢字は覚えなさい。
はっきり言って得する。
国語というのは喋る時よりも、黙ってる時の方に使える勉強です。算数:お金よりも大事なものはあるけど、なかなかそれに出会わないので、それが見つかるまではお金が大事です。
数字は言葉以上に物事を伝えることがあるので、喋るのも嫌なやつと会話する最後の手段です。社会:偉そうなこと言う奴がくだらなく見える、魔法のメガネです。
持っておいたほうがいい。
そして本当に偉い人も見分けられるようになる。
政治の仕組み三権分立と国会の仕組みだけは、嫌でも覚えておこう。
変な人が大人になってから寄ってこなくなります。理科:地味キャラ科目だが、国語ができなくてもこれができると助かる場合がかなりある。
変な薬で頭がパーになることや、変な噂もこれでかなり人生から消えて行く。美術:向き不向きがあるが、この科目が好きな人の邪魔はしないように。
音楽:好きなアーティスト見つけたり、好きな曲を見つけて楽しむ人が優勝。
体育:最初から平等じゃないけど、ズバ抜けた人を心から応援する気持ちを磨く科目です。
中年になってから始める人が多い。給食:アレルギーじゃなければ好き嫌いすんな。
特に野菜。掃除:もし孤独に生きて死ぬのが嫌なら、絶対にできないとダメ。
私もそうだと思います。