生物多様性のおはなし(後編)
2017-09-21
Contents
遺伝学者の考える生物の多様性
前編では、「動物学者の考える生物の多様性」と、「生態学者の考える生物の多様性」について書きました。
どうやら、これらの生物多様性は「人間のため」の「政策」に基づいて考えられたもののようです。
しかし、生き物を中心に置いて、俯瞰的にみた「科学に基づいた生物の多様性」もあります。
それが「遺伝学者の考える生物の多様性」です。
遺伝学者がいう多様性とは、「遺伝子の多様性」です。
これは一般にはあんまり知られていないんですが、生物にとっては一番重要な多様性です。
環境の変化によって変わっていく遺伝子
同じ種類の生物でも、長い年月が経つと、「その環境に応じて」形質(形や性質)がすこしずつ変化していきます。
それは、生き物は環境に適応するようにどんどん変化する仕組みを持っているからです。
それらの形質の変化は遺伝子の変化によって起こるとされています。
例えば人間でも、国ごとに特徴がちょっとずつ違いますよね?
これは、同じ種なのに遺伝子がちょっとずつ違うからです。
なぜ遺伝子が変わるのか?というと、環境が違うからです。
太陽がサンサンと降り注ぐアフリカなどに住む人は、紫外線から皮膚を守るため、メラニン色素がたくさん出てくるようになりました。
メラニン色素は黒いので皮膚の色がどんどん黒くなっていきました。
黒い色は紫外線を跳ね返すので黒人は紫外線に非常に強いという形質を手に入れました。
「全身にたくさんのメラニン色素を出すような遺伝子の変化」があったということになります。一方、ロシアなどの比較的太陽が降り注がない場所にいる人種は、肌の色が白いです。
そして、毛深いです。
これは、太陽の熱をたくさん吸収して、毛により保温して、できるだけ体温を逃がさないように変化していったからです。
また、白人の住む地域は紫外線量が少ない地域です。
紫外線の吸収が少なすぎると、ビタミンDなどが足りなくなったりしますので、できるだけ紫外線を吸収できるように肌の色が白いのです。
しかし、白人種は紫外線に弱く、強い紫外線を浴びるとすぐに皮膚が赤くなってしまったり、皮膚がんになりやすかったりしますね。
ちなみにここでいう「形質(形や性質)の変化」は、「遺伝子の変化」を伴う先天的な変化(生まれながらにしての変化)のことを言います。
海に行って「日焼けして肌の色が黒くなった」というのは、後天的な変化(その生き物が、産まれた後で獲得した変化)で、遺伝子の変化は伴いません。
例えば、事故で手を失くした人の子供にはちゃんと手があります。
つまり、事故で手を失くしたというのは、後天的な変化であって、遺伝子の変化を伴わない変化ってことですね。
黒人と白人のように、同じ種でも色や体つきが異なるのは、長い年月を経て、「その環境に応じて遺伝子が変化したから」です。
人はこれを「進化」と呼びます。
(遺伝子の変化を伴わないのに、親から子供へと受け継がれる後天的な形質の遺伝も最近は報告されています。
それらはエピジェネティクスっていうんですが、難しくなるので、また機会があればお話しします。)
種の定義
「種」の定義はいろいろあるのですが、
一般的な種の定義は、交配できるかどうか?
です。
生殖的に隔離されているかどうか?で、同じ種かそうでないかが決まります。
隔離といっても、距離が離れているから!とかではなく、同じ場所にいても子供を作れない。という意味の「隔離」です。
黒人と白人、黄色人種もそれぞれお互いに子供を作れる(交配できる)ので、同じ種です。
犬と猫は、交配しても子供ができません。
なので、違う種です。
でも、チワワとコーギーは交配できて雑種を作れますので、同じ種です。
種(たね)が同じかどうか?で、種(しゅ)かどうか?が決まるわけですね。
ある程度の見かけ上の変化があっても、交配できれば同じ種です。
変化がどんどん大きくなっていって、やがて同じ種とするには相違点の多い一群が亜種(まだギリギリ子供を作れる)となり、それ以上の変化(生殖の隔離)がおこると、「別の種」となります。
固有種とは
環境保護団体などは、その土地の環境で生きている種を「その土地の固有種(純血種*1)」として定義しています。
例えば、A池にはその池の固有種のホタルがいる。
B池にはその池の固有種のホタルがいる。
という具合に、
生殖的に隔離されているかどうか?ではなく、地理的に隔離されているかどうか?
を固有種の根拠としています。
そして、環境保護団体などは、
A池のホタルは貴重な生物資源です!
B池のホタルもこれまた貴重な生物資源です!
だから、A池にB池のホタルを入れないでください!
A池の固有種であるホタルの純血が無くなります!
なんてことをよく言います。
つまりは、その土地の固有種のそれ以上の変化を望まないということです。
ここら辺が、遺伝学者とはちょっと違うところですね。
遺伝学的に見れば、A池のホタルもB池のホタルも同じ種です。
これらの分け方は、生態学者や環境保護団体などにとってはいいことなのかもしれませんが、生き物にとっては非常に不都合なことなのです。
なぜ生き物にとっては不都合なのか?
それを説明します。
種として全滅しないための生き物の戦略
生き物がなぜ、その環境に適応していくのか?というと、
遺伝子の多様性を持ち、「環境の変化に耐えれる種を残すため」
です。
いいかえれば、「種として全滅しないための生き物の戦略」なのです。
ちょっとわかりにくいので、「種が全滅しないための生き物の遺伝的な戦略」とはなんなのか?を、ごく簡単に説明します。
遺伝的多様性の獲得
A池には、同じ種の魚の集団がいました。
しかし、増えすぎてA池が狭くなったので、
池からつながっているB川の上流に行く小集団、
その川につながっている別のC池に行く小集団、
海に近いB側の河口に行く小集団
の4つの集団に分かれました。
元々住んでいたA池の環境とは異なるB川やC池にいった集団は、そこの環境で元々暮らしていた同種と交配したり、新たな環境の変化(淘汰圧)に適応しながら、だんだんと、A池にいたころの遺伝子とは違う遺伝子を持つようになりました。
B川の上流は非常に流れが速いため、B川の上流に行った集団は流されないよう、たくさんの筋肉が作れるように遺伝子が変わっていきました。
なので、ものすごい速さで泳ぐことができます。(緑色)
C池にはブラックバスがいたため、ブラックバスに見つからないようにC池にいった集団は砂に潜れるようになりました。
なので、体が海底の砂に近い色になりました。(茶色)
B川の河口は海に近いため、ちょっと海水が入ってきます。
なので、B川の河口に行った集団は海水でも生きられるように、エラの仕組みが変わりました。(水色)
そして、気が付いてみると、
A池にいた集団は、ちょっとずつ形質が違う4つの「交配可能な亜種」へと進化していったわけです。
もし、この4集団が「交配できないもの」になっていた場合、「別種へと種分化(しゅぶんか)」したということになります。
これが、遺伝的多様性の獲得です。
もともとは同じ集団だったのに、別の形質を獲得し、それぞれの場所で過ごしやすい集団へと変化したということですね。
遺伝的多様性の獲得の意味
遺伝的多様性があると、なにが得なのでしょう?
遺伝的多様性があると、
大地震が起きるなどの環境の変化がおきたとき、どれかの集団は生き残れる確率が高くなる
というメリットがあります。
大地震による地形の変化で、すべての川と池がつながって流れが速くなったら、ものすごい速さで泳ぐことができる集団(緑色)は生き残れます。
大地震ですべての環境に塩水が入ってきたら、海水でも生きられるように形質変化した集団(水色)は生き残れます。
すべての川と池がつながってブラックバスが入ってきたら、C池の集団は砂に身を隠して生き延びることができます。
こういう風にして、もともとA池にいた集団が「何も変わらずにそのままいたらすべての個体が死滅していたかもしれない。」という状態になったときにでも、B川やC池へと住む場所を変えてたくさんの遺伝子の多様性を持つことによって、少しでも生きながらえる確率を上げることができるようになるわけです。
さらに、これらの分かれていった集団が交配可能であれば、「塩耐性を持ったすごい速さで泳げる集団」とか、「塩耐性を持って砂に隠れれる集団」とかもできる可能性があるわけです。
生物は、自分の行動範囲を広げ、あらゆる環境に耐えうる集団を作りだし、万が一の時に、一つの集団だけでも生き残り全滅を避けようとします。
遺伝子を多様化させ、絶滅しないようにしているわけなんです。
これが、「種として全滅しないための生き物の戦略」なわけですね。
この戦略があるから、遺伝子を子々孫々とつないでいけるのです。
恐竜の例
もっとわかりやすい例でいいます。
恐竜がいました。
恐竜にはたくさんの種類がいました。
大きかったり、すばしっこかったり、海に潜れたり、空を飛べたりする種もいました。
ある日、巨大隕石が落ちてきました。
地上は埃で闇になり、植物はほとんど育たなくなります。
歩くことしかできない草食恐竜や大きい肉食恐竜は餌がなくなり、やがて死んでいきました。
でも、飛べる恐竜は、エサを探して自由に飛び回り、なんとかエサを確保でき、生き延びることができました。
そして、現在、恐竜は鳥へと姿を変えて生き延びているわけです。
これが、生物が遺伝子の多様性を獲得する理由です。
遺伝子の多様性を獲得することは、遺伝子を残す可能性を広げる。
ということなのですね。
固有種の保護
さて、生物多様性を掲げて「固有種を守ろう!」という環境保護団体がいます。
固有種とは、そこにしか生息しない純血種*1のことです。
先のたとえで言えば、A池にいる魚の集団ってことになります。
環境保護団体は、A池に入ろうとする外来種*2を駆逐したり、A池の環境が変わらないように草を植えたり、エサとなる小エビとかを放流して池を保全しています。
当然、A池にいる魚の集団はA池でのほほんと暮らしていけるわけです。
外敵もいない。
エサももらえる。
快適ですね。
環境の変化という淘汰圧がないので、当然、形質の変化や種分化は起きません。
当然、遺伝子の多様性も起きません。
はたしてこれは、A池にいる魚の集団にとっていいことなんでしょうか?
環境保護団体がいなくなったり、エサがもらえなくなったりしたらこの魚の集団はどうなるんでしょうか?
大地震が起きて、海水やブラックバスが入ってきたらどうなるんでしょうか?
環境保護団体の人たちは、この先、永遠にこの魚の集団を保護し続けるのでしょうか?
実は、
固有種の保護は、その種を人間の手で故意に絶滅に追いやる行為
なのです。
人間が固有種を選定する
A池には、1000年前からピンク色の固有種bがいました。
しかし今から100年前、白い外来種aがA池に入ってきて、元々A池にいたピンク色の固有種bをA池から追い出してしまったんです。
900年もの長きにわたりA池で暮らしていた本来の固有種bは命からがら逃げだして、現在はブラックバスのいるC池で細々と暮らしています。
実は、今のA池にいる白い固有種aは、「100年前に外から来た外来種」だったんです。
環境保護団体がこの池に白い固有種aがいることを発見したのは50年前です。
環境保護団体は、本来のピンク色の固有種bじゃなく、白い固有種aがA池の固有種だと思い込みました。
だって、来た時にはピンク色の固有種bは白い固有種aに追いやられてA池にいなかったんですもの。
環境保護団体は、固有種aがず~っとA池にいた固有種だと勘違いしちゃったんですね。
そして環境保護団体は、固有種aをA池にもともといた「純血種」として、保護し始めたのです。
さて、これは正しいですか?
環境保護団体は歴史的に見て外来種であるaを、「恣意的に」純潔な固有種と定義してしまったわけです。
本来の固有種はピンク色のbなので、本当に守るべきは元々900年もA池にいたピンク色の固有種bじゃないですか?
ピンク色のbが生き延びて、C池で細々と生きていたんなら、外来種だった白色のaを駆逐して、ピンク色の固有種bをA池に戻すのが正解なんじゃないですか?
なのに、環境保護団体は、外来種だったaを必死に保護し、本来の固有種bをA池に入れさせない努力をしているわけです。
生態系は常に変化する
生態系っていうのはどんどん変わります。
そこに生息している種も、環境という淘汰圧で、種分化したりしてどんどん変わります。
純血種なんて最初からいないんですよ。
あなたが固有種だ、純血種だと思っているものは、もともと外来種だったかもしれないし、外来種と元々そこにいた本来の固有種との雑種かもしれないわけですよ。
ある特定の時期の生態系を「特別なもの」と思い込み、それを保護することになんの意味がありますか?
どうしても人間の手で固有種aを守りたいのであれば、固有種aをほかの池に放流したりして、形質変化や種分化を進めたほうが結果的にその種を守ることになりませんか?
もし、生物資源としてその生物の形質の何かを得たいのであれば、全遺伝子を解析して、生物資源として利用したらいいのではありませんか?
もし仮にその生物の持つ「機能」を知りたいんであれば、生物学的には、解剖したりゲノムを解析したりして知ればいいわけで、それは実際に行われている。なにも、その生態系を保持しないとできないわけではない。でも、生態学の人からすると、生態系を含むその生き物の行動なり機能なりを研究したいわけ
— いいな (@iina_kobe) September 19, 2016
その種をそこに存在させ続ける理由はありますか?
自分勝手に決めた「ある時点での生態系や固有種」を「正しい」「純粋」「貴重」「守るべき」と言う人がいます。
そこにほかの遺伝子が入ることを、「遺伝子汚染」と呼ぶ人がいます。
純血遺伝子は守るべき!遺伝子汚染をしないために外来種は入れるな!外来種は駆除しろ!
という人がいます。
これは、種分化や遺伝的多様性を否定する行為で、生き物からしたらありがた迷惑なわけですね。
これは、その固有種を人間の手で、故意に絶滅に追いやる行為です。
「1億年前の生態系を善」とするか、「人による外来生物導入前の生態系を善」とするか、「今現在の生態系を善」とするか、「人間が保護した生態系を善」とするか、「そもそも生態系に善悪はない。」とするか、それは個人の自由だ!
— いいな (@iina_kobe) September 19, 2016
人間は既存の生態系に手を出すべきではない
人間が、既存の生態系に手を出すなんて行為は、環境破壊以外のなにものでもなく、人間以外の生き物の生存戦略を全否定する行為なんです。
人間は神ではないんです。
自然にやらせて、放っておくのが一番です。
入ってしまったブラックバスなどの外来種は、仕方ないじゃないですか。
その環境で、生き残れる種は生き残るし、全滅する種は全滅するし、新種になるものも出てくるし、それはそこにかかわる生物が決めることであって、人間が手を出すものじゃないんです。
生き物は、自分でその生態系を作り上げるんです。
C池では、ブラックバスがいるという前提での生態系が作られています。
もし、C池のブラックバスを、外来種だから!という理由で駆逐したら、生態系を守るどころか、いまあるC池の生態系を破壊していることになるんです。
生態系を守るはずの行為が、生態系を壊してしまっていることになるんです。
環境保護団体が勝手に決めた「わたしの正しいと考える生態系」にはブラックバスは必要ないのでしょうが、今の生態系を作っている生き物たちにはブラックバスは必要なんですよ。
環境保護とかいう人間のエゴで、生態系の破壊をする人為的行為を介入させる意味はあるんですか?っていうことです。
駆除したと思ったら急増したブラックバスで書いた稚魚まで食べるブラックバスの駆除も“リバウンド現象”で稚魚が急増 新たな対応を模索 琵琶湖 2017.5.20 15:10更新
や、生物多様性のおはなし(前編)に書いた外来種のコイ、在来種のカエル守る 天敵狙いエサに 2014年5月20日08時33分
には、ブラックバスやコイの導入により生態系が変化したが、その後、生態系が再構築された例が示されています。
こんなの、私から言わせれば当たり前の話なんですね。
わたしはず~っと、
人間は既存の生態系には手を出すべきではない。
一度手を入れてしまったんなら、それ以上の破壊をしないようにすべき。
人間が生態系をどうこうできるわけがない。
と、言ってきました。
そのゲンジボタル「だけ」を人間が見て綺麗だからという理由だけで保存し、増やす事は、そこに住む別の種の生態系を壊す事でもあって、それで絶滅する種はそれはそれで淘汰された事になるのであって、本当に種を守りたいなら、無視が1番。 @puchimaro @iina_kobe
— いいな (@iina_kobe) July 24, 2012
ですから、森がなくなって、ほかの生物が絶滅したら、その環境に適応できる生態系がまた確立されるので、問題ないです。 https://t.co/vYZoHPsqEq
— いいな (@iina_kobe) September 14, 2016
えっと、私が言ってるのは、故意に生態系に手を出すな。です。他の人が言ってるのも同様のことです。
外来種を故意に入れよう!とかっていうのは誰も言ってません。 https://t.co/Zefpf4JYa4— いいな (@iina_kobe) September 14, 2016
ちなみに、今のこのブログは、2013.6.7に書かれた私のメルマガを元に書いていますので、上記のブラックバスやコイが生態系の一部となったっていうニュース以前から、私はそれを指摘していたってことです。
まあ、普通の生物学者ならこれくらいすぐに理解できるので、予言でも何でもないですけどね。
外来種は悪か?
現在の地球上では、ありとあらゆる場所に人間が進出しているので、その人間を介してたくさんの生き物が海を越えて日本にもやってきます。
いわゆる、外来種ってやつですね。
この外来種の90%以上は、日本の環境になじめずに死んでいきます。
しかし、日本の環境になじめた外来種ってのは、天敵がいなかったりしますので、どんどん増えて広がっていきます。
侵略的外来種ってやつです。
アライグマ、ミドリガメ、ウシガエル、ブラックバス、アメリカザリガニ、西洋タンポポなどなどたくさんいます。
でも、それらのほとんどは、「住み分け」しているんですね。
アメリカザリガニは日本に昔からいる日本ザリガニのすみかを奪ってどんどん増えていきました。
同じザリガニなので、住み分けができないんですね。
環境に適応したアメリカザリガニが勢力的には勝っているわけですね。
って思うでしょ?そう習いませんでしたか?実は、両者は住み分けしてるんですよ。
なので、日本ザリガニが少なくなったのは別の要因があるんですね。
西洋タンポポは、日本タンポポのすみかを奪ってどんどん増えていきましたね。
環境に適応した西洋タンポポが勢力的には勝っているわけですね。
って思うでしょ?そう習いませんでしたか?実は、両者は住み分けしてるんですよ。
なので、日本タンポポが少なくなったのは気のせいなんですね。
花を咲かせる時期も、生息範囲も両者は異なるんですね。
人間も動物ですので、人間が持ってきた生き物がその生態系に組み込まれてもそれは地球からしたらごく自然なことです。
人間も生態系の一部ですので。
外来種だからダメだ!とか言っている人は、なにが目的なのかよくわかっていないと思います。
環境保護を訴える人は、
人間は影響力が大きすぎるから、人間がやってしまった環境破壊や外来種の導入は人間の手で元に戻さなくてはならない。
と考えている人が多いです。
でも、自然の力、例えば噴火や台風や地震などのほうが、人間よりも十分にいきものに影響を与えますよね。
人間の力なんて、まだまだですよ。
人間の力で自然を越えようなんて、おこがましいですね。。。
ちなみに、もし、仮に、外来種を全滅させても、外来種の入ってくる前の生態系には戻りませんので、全くの無駄な行為です。
この地球上で、「人間が見つけた生き物は1割程度」といわれています。
残りの9割は見つかっていません。
今、年間に1000~1万種の生き物が絶滅していると言われています。
これは、人間が見つけた種の中で絶滅していった種の数から計算で導き出したものです。
でもね、よくよく考えてみたら、新種もバンバンできているわけですよ。
なので、このままいけば生物の種類がどんどん減って、人間だけになる!なんてことは眉唾ですね。
生き物はそんなにやわじゃないです。
終わりに
ということで、前編と後編にわけて、簡単に?生物多様性について書いてみました。
生物の多様性を守ろう!とかいうと、かっこいいですが、きちんと意味を理解しなければなりませんね。
何が正しいのか?なんて、わかりません。
でも、「何が正しいのかがわからない」ということを理解していることは必要だと思います。
あとはこれを読んでくださった皆さんが判断をしてくれればいいと思います。
(このエントリーは、メルマガ2013.6.7発行no.5 生物の多様性の簡単なはなし~ホタルの放流ってどうよ?~ と、2016.9.16 発行 no.166 遺伝子の多様性のお話 を加筆修正して書きました。)
注釈
*1純血種:純血種とは、生態学では、ある一定の場所にいる集団の遺伝子群のことをいいます。
少しずつ違う遺伝子を持っている集団でも、集団として「純血種」といいます。
「遺伝学での純血種」とは、何世代も近親交配を続けて、ほぼ均一な遺伝子を持っている集団のことをいう。
*2外来種:外来種とは、生態学や広辞苑では、「人間の手によって、直接または間接的に他の場所からやってきた種」のことをいいます。
動物が運んできたり、自分の力で外からやってきた種は「外来種」とは言わないようです。
また、明治時代以前に日本に入ってきていた種も、外来種とは言いません。
ミジンコなんかはず~っと前に入ってきた生き物ですが、それらは外来種と言いません。
しかし、20年前の遺伝学などの授業では、「人間の手によらずとも、他の場所からやってきた種のこと」を外来種といいました。
最近、定義が変わったようですね。