生物多様性のおはなし(前編)
2017-09-17
みなさん、生物の多様性って聞いたことありますよね。
でも、その意味を知っている人は少ないと思います。
Contents
生物の多様性の種類
みなさんは「生物の多様性」って聞いて、どんな景色が頭に浮かびますか?
山にはクマ、ウサギ、キツネ、シカなどのたくさんの動物がいて、川にはたくさんの
魚が泳いでいて、野原にはたくさんの色とりどりの花が咲き、畑にはたくさんの種類の
野菜が実っていて、たくさんの昆虫たちが飛んでいる。
絵は宝塚市のサイトより
こんな感じですかね?
生物の「種類」がたくさんいる!というのが生物の多様性だ!っていう認識でしょうか?
実は、生物多様性っていう言葉は、それを扱う分野によって意味が違うんです。
動植物学者の考える生物の多様性
さっきの絵のように、
地球全体を見て、あるいは、地域全体を見て、たくさんの生物がいるぞ!っていうのが「動植物学者の考える生物の多様性」です。
「動物の種類」が多い=生物の多様性
なわけです。
一般的にも、このような考え方をする人が主流ですね。
動物の種類が多い=生物の多様性 ですから、ある種の動物が絶滅してしまうってことは、種が減るってことで、多様性が減る!っていうことになります。
なので、どんだけ「今の地球では生存が不利な種」でも、人間の手でなんとか保護しよう!とします。
これが、動植物学者の考える「生物の多様性」の保護です。
生態学者の考える生物の多様性
では、生態学者の考える生物の多様性とはなんでしょうか?
生態学者は動物が住んでいる「環境の多様性(生態系の多様性)」を生物多様性と呼びます。
こっちの山にはこういう生態系が。
こっちの山には別の特殊な生態系が。
こっちの川には向こうの川にはない生態系が。
という感じですね。
地球上では、山、森、林、川、湖、沼、湿原、草原、干潟、サンゴ礁などの多様な自然環境があることで、いろんな生き物がいろんな生活を営んでいるわけです。
生物っていうのは、昔から、縄張り争いを繰り返して自分の種の生存のために激しい戦いを続けてきました。
同じ種類の生き物は群れを成して同じところにいますが、その他の種類の生き物は同じ場所にはいませんよね。
ちゃんと川の上流と下流、岩の下とかって住みわけていますよね。
生き物は、環境を変えて住みわけをすることによって、他の種類の生物と争うことなく共存をしてきているわけです。
例えば川の上流にはヤマメ・アマゴ・イワナがすみ、中流域には鮎やウグイが住み、下流域にはボラやコイが住む。
岩の下にはカニが住み、岩の上にはコケが生える。というふうに。
こういう、多様な種がいる「地形」などの環境がたくさんあることを、生態学者は「生物の多様性のある場所」というんですね。
なので、生態学者の考える生物の多様性は、
「動物が住める環境」が多い=生物の多様性
なわけです。
動物が住める環境が多い=生物の多様性 ですから、ある場所の環境が破壊されてしまうってことは、動物が住める環境が減るってことで、多様性が減る!っていうことになります。
なので、外からどんだけ「その環境に適した種」が流入してきても、今までの環境(生物の種類や縄張り)が破壊されるのがダメなので、人間の手でなんとか侵入種を駆除しようとします。
これが、生態学者の考える「生物の多様性」の保護です。
この考え方も、一般の人には、「環境保全」ということでよく知られていますね。
動物の種類の多様性と、環境の多様性はリンクしますから、この二つの多様性を合わせたものが一般的な生物多様性の理解だと思います。
なんのために生物の多様性を守るのか?
でもよく考えてみてください。
とある環境に、別のところから違う種類の魚を入れたとしましょう。
「生物種」の多様性は、増えますよね?
なのに、なぜか、禁止なんですね。。。
不思議です。
でもよく考えてみてください。
山や畑にソーラーパネルを建てたらそこの環境は破壊され、「生物がすむ環境」の多様性は減りますよね?
なのに、なぜか、ソーラーパネルはどんどん建てられていくわけですね。。。
環境破壊してるからやめて!っていっても、どんどん建てようとします。
不思議です。
豊島の太陽光発電で主張は平行線 事業者初の説明会に住民反対
2017年09月14日 21時53分 更新香川県・豊島で民間事業者2社が太陽光発電所整備を計画し、地元住民が反対している問題で14日、事業者側が出席した初の住民説明会が豊島で開かれた。
自然や景観が損なわれるとして計画中止を求めた住民側に対し、事業者は計画推進の考えを崩さず、双方の主張は平行線をたどった。
(略)
でも、みんなは口をそろえてこう言います。
生物の多様性を守りましょう
私たち人間は、地球という大きな生態系の一員であり、私たちの暮らしは、多様な生きものが関わり合う生態系から得られる恵みによって支えられています。
私たちのいのちと暮らしを支えている生物多様性を守り、持続的に利用していくことは、私たちだけでなく、将来の世代のためにも必要です。生物多様性を守るため、行動しましょう!
環境省
いったい、なんのための生物多様性なのでしょう?
実は、これらはすべて、「人間のため」に行われているんですね。
「人間が、持続的に利用していく」
ために、生物多様性を守らないといけない。
と国が言っているわけです。
生き物たちのためにやっているわけではないのです。
ここを、生き物のためにやっている!と勘違いしている人がたくさんいます。
が、そうではないです。
「人間が、生態系から受ける恩恵を持続的に利用していく」
これが、目的なわけです。
人間という種を存続させるために、その他の生物が必要だからやっているんです。
人間のエゴのためにやっているんです。
生き物のためにやっているんだったら、生き物に優劣をつけて、侵入してきた生き物を殺したりしませんよね。
生き物のためにやっているんだったら、森林を伐採してまでソーラーパネルを建てたりしませんよね。
生態系から人間が受ける恩恵
では、人間が生態系から受ける恩恵とはなんでしょう?
私たちは、暮らしに欠かせない水や食料、木材、繊維、医薬品をはじめ、様々な生物多様性のめぐみを受け取っています。
生物多様性が豊かな自然は、私たちのいのちと暮らしを支えているのです。
環境省
まず、水とか酸素とか、食料とか、いろいろな生きるためのものが恩恵らしいです。
これ、別に、生物の多様性は関係ないように思いますけどね。。。
そして、バイオミミクリーと呼ばれる、生物をまねしてできた技術、たとえば、
トンボの空中停止→ヘリコプターの原理
コウノトリ→グライダーの滑空飛行
カワセミのくちばしの形状→空気抵抗を少なくすることで騒音を軽減した新幹線
アホウドリの羽の形→エアコンの室外機のファンに応用
イルカの尾ひれ→洗濯機の水流を作る部分に応用
蜂の巣の構造→軽くて丈夫な素材
蚊の針→痛くない注射針
などなどですね。
こういう、自然と自然から学ぶもののために、「生物多様性が必要だ!」といっているわけです。
例えば、希少種の魚を保護する理由は、その魚から、新たな何かがわかるかもしれないから!なわけです。
これも別に、生物の多様性は関係ないように思いますけどね。。。
私には、生物の多様性を守って、自然の恵みが増えるとは到底思えないです。
なぜなら、自然や生き物って、人間がコントロールできるような代物ではないと思っているからです。
生き物が生きる意味
大前提として、
生き物っていうのは、子孫を残すために生存しています
すべての生き物がそうです。
生き残って、遺伝子を後世に伝えていくために努力をしているんです。
生き物は、人間のエゴのために生きているわけじゃないんですね。
生き物は自分で、自分の種を保存しようと、たくさんの戦略を編み出しながら進化し、生きてきました。
それに失敗した種は死に絶えました。
環境の変化に対応できる種のみが、子孫を残せるのです。
絶滅したとされる恐竜も、実は鳥として生き残っているのです。
むしろ、恐竜を祖先としていない鳥類はいまのところいないんですね。
人間が数の少なくなった種を救うことは、「善」と考えている人がたくさんいるようです。
コウノトリとか、トキとかがそうですね。
ある意味、生物の存在意義に反抗することなのですが、それは善だと認識されているようです。
人間の環境破壊によってその種の数が減ったんだから、人間のせいだ!
人間の手で元に戻してやるのが道理だ。
と考える人もいるようです。
どうやら、人間は自然の一部とはみなされていないようです。
地球や動物から見たら、人間も自然の一部なんですけどね。。。
また、数さえ増やせば、その環境も含めて元と同じ生態系に戻ると思っている人も少なくありません。
ですが、温度も周りの環境もどんどん変化していくんですから、一度壊れた生態系は、二度と同じ状態には戻りません。
希少種がいなくなるのはもったいないって考えなのかもしれません。
希少種を増やしたいなら、水槽で飼ったり、遺伝子解析したりして人工的に増やしてあげればいいと思います。
でもそうじゃなく、「その環境に数少なく存在していること」に意味があるようです。
爆発的に増やしてもダメみたいですね。
なぜかは私にはわかりません。
政策としての生物の多様性
こんな話があります。
外来種のコイ、在来種のカエル守る 天敵狙いエサに
元ソースはリンク切れ
神田明美 2014年5月20日08時33分(略)
外来種のコイが、外来種のカエルの勢力拡大を防ぎ、在来種のカエルの減少を抑えることが、東京大の宮下直教授(生態学)らの研究でわかった。
英国王立協会紀要電子版で発表した。
日本の川や池にいるコイのほとんどは外来種で駆除をする動きも出始めているが、在来種を間接的に守っているという。
(略)
これって、「新しい生態系が出来上がった。」ってことなんですよね。
外来種が入ってきて、種の多様性が増えた。
新しい生態系もできた。
何も悪いことないんですよ。
「人間以外には」ね。
人間は、外来種=悪 だと思っています。
悪は滅ぼさねば!と思っています。
だから必死で悪を滅ぼそうとします。
でもね、その悪は、必死で生き残ることを考えているわけです。
結果、その悪は、共存の道を歩んだ。ってことなんですよね。
人間は、その共存の道をただ単に邪魔してただけなんですね。。。
人間が、自然に勝てるわけがないんです。。。
私はいつも言っているんですよね。。。
自然に任せればいいんじゃねーの?ビオトープ屋なんか、人間のエゴがなけりゃ生まれない代物でしょ。まあ、斎場も球場も港もそうだけど。RT @phakutaku: @iina_kobe そうだよ。だから、どこで折り合いをつけるかはその種の特性、個体群規模、地域環境、経済特性、将来の
— いいな (@iina_kobe) July 27, 2012
人間の価値観だとそうなるね。生物学的には、面白いとかいう感情論は関係ないので、そこはわけようよ。って私は言ってる。RT @phakutaku: @iina_kobe 自然に任せたんじゃ面白くないじゃん。そういうものと、地元の価値観との折り合いをつけるためにビオトープ屋がいるんだ
— いいな (@iina_kobe) July 27, 2012
自身の意見は、何度も何度も言ってますが、
「これ以上、既存生態系に故意に人間が手を出すべきではない。人間が自然に介入するのは、その影響力の大きさから、あまりにもリスクが大きすぎる。」
です。https://t.co/c3NDwqjyEl— いいな (@iina_kobe) September 17, 2016
今まで見てきた「生物多様性を守ろう!」っていうのは、政策であり、科学的ではないんですね。
「人間のために」という「感情」が入ってきている時点で、「科学的ではなくなっている」わけです。
もうこれは、「生物多様性を守ろう!」が社会常識化して、それに反する人を過剰に叩くときに生まれる「シャーデンフロイデ」という感情そのものですね。
理性を失って、論理的に物事が見れなくなっている状態ですね。。。
みんな、「生物多様性」について、真剣に考えたことがないのに、「生物多様性」は、地球にやさしいものだと思い込んでいるわけです。。。
人間の考えた政策なのにです。
でも、実は、感情論の入っていない生物の多様性っていうのもあるんです。
それは、遺伝学者の考える第三の生物の多様性、遺伝子の多様性です。
生物多様性のおはなし(後編) へ続く
このエントリーは、メルマガ2013.6.7発行no.5 生物の多様性の簡単なはなし~ホタルの放流ってどうよ?~ と、2016.9.16 発行 no.166 遺伝子の多様性のお話 を加筆修正して書きました。