世界一簡単な放射線の歴史のお話(前編)
2017-08-21
2011年3月11日に東日本大震災が起こり、それに伴って起きた福島第一原発事故により、日本中が放射線という聞きなれない単語に恐怖しました。
そして、いきなり人体に影響が出るかもしれない!とか、ベクレルとか、シーベルトとか、LNT(Linear Non-Threshold)仮説とかいう専門用語を聞かされて、わけもわからず戸惑った人は多かったと思います。
たくさんのデマで苦しめられ、自殺した人も多くおられます。
Contents
そんな中私は、放射性物質を取り扱ってた経験から、事故直後から南相馬市役所と連携し、原発から20km圏内に入り、実際に田畑の放射線量を計測して田畑の放射線量マップを作ったり、農家さんにどうやったら農作業の再開ができるのかを説明したり、市民に対しては専門用語をほとんど使わない超簡単な放射線セミナーなどを行っていました。
一般の人が放射線の影響を理解するのは難しい
6年前は、一般の人に放射線の影響などを理解してもらうのは至難の業でした。
なぜなら、人が何か理解するにはその話を理解するだけの基礎知識と、教えてもらう人への信頼が大事なのですが、全く基礎がない一般の人に、何の権威もなく有名でもない人が難しい専門用語で説明しても理解できないし、むしろ怪しく思われて全く信用してもらえないような雰囲気だったからです。
しかも、みんなが「危険かも!」と思っている中、「実は安全なんですよ。」なんてことを言ったら、「安全デマを言って実験しようとしている!福島の人はモルモットじゃないぞ!」ってな感じで逆に反感を買ってしまう状態だったのです。
そんな私が一般の人にきちんと放射線のことを基礎から理解してもらうためにとった方法は、放射線の歴史を知ってもらうことでした。
私が当時、一般の人にどんなお話をしていたのか?は、2013.6.14 発行のメルマガ no.6に書いてありましたので、加筆修正して公開したいと思います。
知っていて損はないと思います。
*後編も読んで初めて完結となりますので、前編だけを読んで理解したつもりにはならないでください。
しきい値なし直線(LNT)のおはなし~放射線の歴史~
当時、放射性物質を扱っている専門家が動かなかったのはなぜか?
福島第一原発の事故後、「放射線を浴びたらガンが増える!」って話が話題となっています。
そして、
「放射線を浴びた量によって、癌で死ぬ確率が変わる!」
「100mSv以下の低線量の被ばくの影響はわかっていないから何が起こるかわからない!」
「はだしのゲンみたいに福島では3か月もすれば放射線で人がバタバタ死んでいく!」
「5年後、福島ではチェルノブイリみたいに甲状腺癌が多発する!
などという、素人には真偽もわからないようなお話が飛び交っております。
そして、「放射性物質を扱っている専門家が動かないから私が動く。」という物理学者さんまで出てくるようになり、非専門家が放射能について語る時代となりました。
放射性物質を扱っている専門家が動かないのはなぜか?
答えは至ってシンプル。
福島くらいの線量ではなんら問題はないから。
そんな無駄なことに時間を割くよりも、研究をして人類に貢献したいから。
です。
ノーベル賞をとった山中さんとか、我関せず。ですよね。
自分で「何が問題なのか?」を考えられるように
以前も書きましたが、生物学の基礎研究を行っている人にとっては、
「放射性物質は単なる道具」
です。
金槌や、ドライバーや、鉛筆や、車、メモ用紙と同じ「道具」なんですね。
どうやったら危ないか、どうやったら安全なのかを知っています。
車の免許証を取る時、教習をうけますよね?あれとおんなじです。
車の免許を持っていると、車のどこを踏めば走って、どこを踏めば停まるのか、知ってるわけですね。
放射性物質を取り扱うためには講習と実地訓練をしないといけないんですね。
全部わかった上で、実際に使用してるわけなんです。
今回、生物学者が騒がずにいるのは、
「こんな程度じゃ何も起こらないし問題ない」
ことを知っているからです。
物理学者や医者などの実際に放射性物質を取り扱ったことのない人、いわば免許を持ってない人がああだこうだ言ってるのは、無知だからです。
とはいっても、誰も本当の事を説明してくれない。
マスコミは恐怖ばかり煽る。
周りの人たちは鼻血が出た!だの、白血病になった!だのと言ってる状態は好ましくないですね。
風評被害にもつながりますね。
というわけで、このメルマガ読者さんが、自分で「何が問題なのか?」を考えられるよう、時系列を追って、
・なんで放射線でガン死が増えるとかってことになったの?
・放射線の研究って、どこまで進んでるの?
ってのを説明します。
放射線の発見
それはまだ、放射性物質なんてこの世にあるって事すらわかってなかった時代。
今から120年前の1890年代のこと。
中を真空にしたガラスの管(真空管)に電気を流すと、
・1,000ページ以上の分厚い本やガラスを透過する。
・薄い金属箔をも透過する。
・だけども鉛(なまり)には遮蔽される。
・蛍光物質を発光させる。
・でも、熱くはない。
などの性質を持った未知の線が出ることを見つけた人がいました。
みなさんも聞いたことがあると思います。
物理学者の レントゲン さんです。
彼は、この「未知の物体X」を、X線と名付け、1895年にX線の発見を報告しました。
この功績により、レントゲンさんは1901年、第1回ノーベル物理学賞を受賞しました。
彼の名は、健康診断とかの「レントゲン」として、今でもみんなによく知られていますね。
レントゲンさんの「X線の発見」の報を聞いて科学者は目に見えない線があることを知ります。
その翌年、フランスの物理学者は、山の中にあるウラン鉱石からも、X線みたいな線が出ていることを発見します。
発見者の名は、ベクレル。
そう、Bq(ベクレル)とみんなが毎日のように言っているあの単位は彼の名前から名付けられました。
これと時を同じくして、ラジウム、ポロニウムからX線みたいな線が出ていることを発見した人がいます。
彼の名はピエール・キュリー。そして、その妻、マリ・キュリーです。
みんなも伝記とかで読んだことがあると思いますが、あのキュリー夫人です。
ベクレルさんと、キュリー夫妻の三人は、その目に見えない線を放射線と名付け、放射線の発見者として、1903年のノーベル物理学賞を受賞しました。
マリ・キュリーは、その後、ラジウム、ポロニウムという新元素の発見などの功績により、1911年、ノーベル化学賞も受賞しています。
放射線は当時の便利グッズだった
その後、X線を出す装置は骨折を発見できたり、靴を作る際に自分の足にピッタリフィットしているかどうかなどを簡単に調べたりできるため、病院や靴屋さんなどにどんどん設置されていきました。
だって、放射線やX線に害があるなんて知られてないんですもの。
便利グッズです。
今でいうスマホみたいなもんです。
みんな、スマホに害があるなんて思わないでしょう?
それと同じ感覚です。
普通に、一般的にどんどん使用されていました。
特に戦場なんかでは、すぐに兵士の骨折の場所などを発見できるので治療の効率が上がるため、バンバン使用されました。
ラジウムを肥料にすれば『味の良い穀物を大量につくれる』と主張する人もいたらしいです。
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放射性物質を注射することにより糖尿病、胃潰瘍、結核、がんなどを治療する方法を模索したりする医者もいたらしいです。
ラジウム腕時計、ラジウムチョコレート、ラジウム歯磨き粉、ラジウム入りクリーム、ラジウム入りヘアトニック、ラジウム水などなどが売られたりしていたらしいです。
放射能入り商品!過去に販売されていた危険な放射能グッズたち
その一方で、ウランなどの放射性物質には莫大なエネルギーがあることも徐々にわかってきて、放射性物質を原子力として軍事利用しようとする動きも始まりました。
実は、レントゲンさんがX線を発見してから数か月後には、大量の放射線を扱う研究者の皮膚がただれたり火傷みたいになったりする、今でいう放射線障害(紅斑、皮膚炎、潰瘍など)がすでに出ていたんです。。。
また、ラジウムを使った商品を作るために大量の被曝(数シーベルト)をする作業員の中にも白血病や肉腫などで亡くなる人がたくさんいました。
夜光塗料による放射線がんの発生
でも、大量に使用しなければ健康被害は起きないし、火傷とかの副作用よりも、その利便性や効果のほうが勝っていたので、あんまり気にすることなく使用されていました。
しかしながら、軍事的に利用するためには、それを使用する兵士のために、その安全性をより詳細に調べる必要がありました。
放射線で奇形が!!!
1920年代、X線とラジウムの被ばくに関して研究している生物学者がアメリカにいました。
放射線が生物に与える影響を調べようとしていたのです。
その人の名は ハーマン・ジョーゼフ・マラー(Hermann Joseph Muller)。
マラーさんは、ショウジョウバエという、2ミリくらいのハエのオスの精子にX線を当てて、それを使って交配させ、生物にたいするX線の影響を調べていました。
そして、1927年、実験の結果、X線を当てたハエの精子を使って受精させた卵から産まれたハエの二代目、三代目のハエに奇形などの異常が出ることを発見しました。
さらに彼は、『放射線の害はその量に直線的に比例する』という仮説を発表しました。
当てるX線の量が多ければ多いほど、ショウジョウバエの子孫に奇形がたくさん生まれたからです。
1930年、マラーさんの研究室で博士号を取得したオリバーさんが、学術誌Scienceで、「ショウジョウバエの成熟精子にX線を照射すると、突然変異頻度が線量に依存して増える」ことを証明しました。
これが後のLNT(Linear Non-Threshold)仮説の原型となります。
要するに、彼は「X線を当てることにより、人為的に突然変異を作れる」という大発見をしたのです。
そして、「X線を当てればあてるほど奇形の数が増える」ことを発見したのです。
ちなみに、この時に当てられた最低線量は「瞬時に50mSv以上」です。
この発見は科学者や原子力を利用しようとしている人にものすごく影響を与えるものでした。
なぜなら、X線を浴びれば、自分の子供や孫が奇形になるかもしれないという可能性を含んでいたからです。
この事実が知れわたれば、いままで普通にレントゲンを撮っていた人や、靴屋さんや放射線グッズを愛用していた人は、そりゃもう大騒ぎになるでしょう。
今でいう、スマホ感覚で使ってましたから。
えーーー!子供とか孫が奇形になるかもしれないの??って、町中大騒ぎになるでしょう。
国際X線およびラジウム防護委員会による勧告
ICRP(国際放射線防護委員会) という組織があります。
みなさんご存知ですよね。
この組織は国際的な組織で、ほとんどの国が、この組織が決めた数値を放射線防護に用いています。
このICRPという組織の前身は、放射線医学の専門家を中心として「X線とラジウムの被ばくから人間を防護するため」に生まれた組織で、正式名称を「国際X線およびラジウム防護委員会」(International X-ray and Radium Protection Committee; IXRPC)といいます。
この組織は1928年に創設されました。
マラーさんの「X線を浴びたハエを交配したらその子供や孫に奇形が出た!」という研究報告の翌年です。
つまり、マラーさんの研究結果などを世界に勧告するために生まれた組織なわけです。
ちなみに、ICRPと名前が変わるのは1950年のことです。
マラーさんの研究の報告を聞いて焦ったのか、ICRPの前身のIXRPCは「最初の放射線に対する勧告」を1928年に発表しました。
それは医学用線源を使用する医療専門家の防護に関するもので、
「年に約1000ミリシーベルト(1Sv)以上被ばくしないように!」
というものでした (IXRPC,1928)。
当時公表された危険性としては、「皮膚のやけど」と「内臓への障害および血液の変化」でした。この時にはまだ、マラーさんの実験結果の、「数世代後の奇形の発生」には触れられてませんでした。
放射線は本当に人体に影響があるんだろうか?ハエと人間は違うんだろうか?
でも、人体実験なんてできないしなぁ。。。
原子力エネルギーは非常に魅力的だしなぁ。。。
人体への影響を調べたいなぁ。。。
なんて、考えがアメリカにはあったのかもしれません。。。
そして、世界は第二次世界大戦へと向かいます。
(世界一簡単な放射線の歴史のお話(後編)へつづく)
これまでの歴史年表
1890年代:レントゲンさんがX線を発見
1895年:レントゲンさんがX線の発見を報告
1901年:レントゲンさんが「X線の発見」により第1回ノーベル物理学賞を受賞
1903年:ベクレルさんとキュリー夫妻が「放射線の発見」によりノーベル物理学賞を受賞
1911年:マリ・キュリーさんが「ラジウム、ポロニウムという新元素の発見」などの功績により、ノーベル化学賞を受賞
以降、放射線グッズやレントゲンが大量に使用される。
1927年:マラーさんがX線による影響(X線を当てると世代を超えて奇形が出ること)を論文で報告
1928年:「国際X線およびラジウム防護委員会」が創設される。
同年:国際X線およびラジウム防護委員会が「放射線に対する勧告(医者向け)」を発表
1930年:オリバーさんが「ショウジョウバエの成熟精子にX線を照射すると、突然変異頻度が線量に依存して増える」ことを証明
コメント
汐先 雄治
何か、良くも悪くも欧米ですね・・・
発見されたら検証や実験もせずに商品化して大ブームとかwww
宮沢賢治さんは冷害に悩まされる東北の地で、土壌改良の研究をして石灰を売って回ってましたけど、まさかラジウム入り堆肥が出ていようとは・・・
iina-kobe
ちなみに、適度な放射能はSOS経路とかを刺激し、免疫力を高めたりする効果があります(SOS応答といいます)。俗にいうホルミシス効果ですね。
ラジウム温泉とか、放射線量数マイクロSvのところで行う岩盤浴などがそれですね。
なので、検証や実験もせずにっていうことはないんだと思います。
要は、量の問題ですね。